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- 1088件十勝沖地震は昭和27(1952)年3月4日、午前10時23分に発生。マグニチュード8・2の巨大地震で、震源は襟裳岬の東方約70㌔、震源の深さは約45㌔と推定されています。この地震で十勝から釧路の沿岸などでは震度6を記録。集合煙突の倒壊、ズリ山の崩壊、津波などによる死者・行方不明者は合計33人、住家は全壊815棟、半壊1324棟の被害を出しました。


十勝沖地震は昭和27(1952)年3月4日、午前10時23分に発生。マグニチュード8・2の巨大地震で、震源は襟裳岬の東方約70㌔、震源の深さは約45㌔と推定されています。この地震で十勝から釧路の沿岸などでは震度6を記録。集合煙突の倒壊、ズリ山の崩壊、津波などによる死者・行方不明者は合計33人、住家は全壊815棟、半壊1324棟の被害を出しました。

昭和三陸地震は1933年3月3日、午前2時半ごろに発生。震源は三陸沖約200㌔、マグニチュードは8.3の海溝型地震で、三陸沿岸の震度は4~5を記録した。八戸地方の死者・行方不明者は22人。特に港では船舶が流失したり、八戸港築港工事用橋梁が流失するなどの被害が生じました。


昭和三陸地震は1933年3月3日、午前2時半ごろに発生。震源は三陸沖約200㌔、マグニチュードは8.3の海溝型地震で、三陸沿岸の震度は4~5を記録した。八戸地方の死者・行方不明者は22人。特に港では船舶が流失したり、八戸港築港工事用橋梁が流失するなどの被害が生じました。

平成20(2008)年6月14日、祭畤の北、約1・5㌔を震源とするマグニチュード7・2の岩手・宮城内陸地震が発生。この地震で崩落した祭畤大橋が遺構として残されています。


平成20(2008)年6月14日、祭畤の北、約1・5㌔を震源とするマグニチュード7・2の岩手・宮城内陸地震が発生。この地震で崩落した祭畤大橋が遺構として残されています。

この慰霊碑と慰霊塔は、種から発芽した芽が大きく空へと伸びていく様子を表現しており、東日本大震災の犠牲者が天に昇る姿をイメージしたもの。と同時に、震災を克服し復興への決意を新たにする人々の姿をも重ね合わせています。また、慰霊塔の高さは8.4㍍の津波の高さに合わせているといいます。

この慰霊碑と慰霊塔は、種から発芽した芽が大きく空へと伸びていく様子を表現しており、東日本大震災の犠牲者が天に昇る姿をイメージしたもの。と同時に、震災を克服し復興への決意を新たにする人々の姿をも重ね合わせています。また、慰霊塔の高さは8.4㍍の津波の高さに合わせているといいます。

東日本大震災の大津波にのみ込まれた旧野蒜駅。当時の駅は今、震災遺構となっています。その一角、震災復興メモリアルパークにある3柱のモニュメントは駅を襲った3・7㍍の津波の高さを示しています。さらに、小さい丸と緩やかな曲線が犠牲者の御霊を表しています。

東日本大震災の大津波にのみ込まれた旧野蒜駅。当時の駅は今、震災遺構となっています。その一角、震災復興メモリアルパークにある3柱のモニュメントは駅を襲った3・7㍍の津波の高さを示しています。さらに、小さい丸と緩やかな曲線が犠牲者の御霊を表しています。

台座に刻まれた「祈り そして未来へ」で始まる碑文には、「3・11のあの日 巨大な黒い津波は私たちから愛する人々と先人から受け継いだ美しい七ヶ浜の風景を奪い去った 未来永劫 同じ惨事を繰り返してはならない されど私たちは 偉大なる海への畏敬も忘れまい」とあります。また、石碑には東日本大震災の規模や人的被害、家屋の被害の状況がに記されています。

台座に刻まれた「祈り そして未来へ」で始まる碑文には、「3・11のあの日 巨大な黒い津波は私たちから愛する人々と先人から受け継いだ美しい七ヶ浜の風景を奪い去った 未来永劫 同じ惨事を繰り返してはならない されど私たちは 偉大なる海への畏敬も忘れまい」とあります。また、石碑には東日本大震災の規模や人的被害、家屋の被害の状況がに記されています。

秋田で震度5を記録した1983年の日本海中部地震。津波の第1波は地震発生後約7分で男鹿半島に到達しています。碑文には「こゝに三十六柱の霊魂静かに眠る 果てもなき海原のもと 絶ゆるなき潮騒のなかに君は永遠の眠りに就き給うや 悪夢にも似た一瞬の怒涛に身をゆだねた御身等の面影はきゆるなく 我等が胸に蘇る 恨は深し」とあります。


秋田で震度5を記録した1983年の日本海中部地震。津波の第1波は地震発生後約7分で男鹿半島に到達しています。碑文には「こゝに三十六柱の霊魂静かに眠る 果てもなき海原のもと 絶ゆるなき潮騒のなかに君は永遠の眠りに就き給うや 悪夢にも似た一瞬の怒涛に身をゆだねた御身等の面影はきゆるなく 我等が胸に蘇る 恨は深し」とあります。

海に浮かぶ奇岩がまるで極楽浄土のようということから名付けられ、日々、多くの観光客が訪れる浄土ヶ浜。その一角に、昭和三陸地震津波の石碑と並ぶように宮古ロータリークラブによるチリ津波記念碑が建っています。この石碑は「地震がなくとも潮汐が異常に退いたら津波が来るから早く高い所に避難せよ」と、揺れに関わりなく海水面の異常を感じたら逃げることを諭していています。


海に浮かぶ奇岩がまるで極楽浄土のようということから名付けられ、日々、多くの観光客が訪れる浄土ヶ浜。その一角に、昭和三陸地震津波の石碑と並ぶように宮古ロータリークラブによるチリ津波記念碑が建っています。この石碑は「地震がなくとも潮汐が異常に退いたら津波が来るから早く高い所に避難せよ」と、揺れに関わりなく海水面の異常を感じたら逃げることを諭していています。

碑には「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」と刻まれています。さらに、津波の浸水高が約23㍍に達したことを伝え、神社に避難した園児や児童、その他約190人が一夜を明かし助かったといいます。

碑には「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」と刻まれています。さらに、津波の浸水高が約23㍍に達したことを伝え、神社に避難した園児や児童、その他約190人が一夜を明かし助かったといいます。

碑文は「数度の上下動と共に一瞬にして殆どの家屋が倒壊し、住民はその下敷きとなった。(中略)住民は一丸となって死傷者の救出や手当に奔走した。血まみれの労力にも拘わらず絶命するものが続出し、まさに、この世の生地獄そのものであった。しかも敗色濃き戦火の末期にて、三河地震の惨状は公表されず、住民は物心両面にわたって、筆舌に尽くしがたい惨苦を舐めた」とあります。


碑文は「数度の上下動と共に一瞬にして殆どの家屋が倒壊し、住民はその下敷きとなった。(中略)住民は一丸となって死傷者の救出や手当に奔走した。血まみれの労力にも拘わらず絶命するものが続出し、まさに、この世の生地獄そのものであった。しかも敗色濃き戦火の末期にて、三河地震の惨状は公表されず、住民は物心両面にわたって、筆舌に尽くしがたい惨苦を舐めた」とあります。
