森隆(石碑は語る著者)
2021/11/11
碑文は「数度の上下動と共に一瞬にして殆どの家屋が倒壊し、住民はその下敷きとなった。(中略)住民は一丸となって死傷者の救出や手当に奔走した。血まみれの労力にも拘わらず絶命するものが続出し、まさに、この世の生地獄そのものであった。しかも敗色濃き戦火の末期にて、三河地震の惨状は公表されず、住民は物心両面にわたって、筆舌に尽くしがたい惨苦を舐めた」とあります。
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防災のセレクトショップSEISHOP(セイショップ)
2021/8/31
昭和20年(1945)1月13日未明、突如として起こった三河地震は藤井住民の尊い生命財産を奪い、住宅全半壊176棟、死者77名を出した。碑文には「次々に襲い来る余震に脅かされながら、住民は一丸となって死傷者の救出や手当てに奔走した。こうした血まみれの努力にもかかわらず、絶命する者が続出し、まさにこの世の生地獄そのものであった。」とある。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
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