
ゼロからはじめる愛知・戦国史跡巡り講座

歴史初心者向けに作った愛知の戦国史跡と城跡そして御朱印巡りのサイト『ゼロからはじめる愛知の城跡と御朱印、戦国史跡巡り講座』に掲載されているスポットをMEQQE化しました。ウォーキングや歴史巡り・城巡り、観光にぜひご活用ください。 MEQQE内の情報は、ブログ『ゼロからはじめる愛知の城跡と御朱印、戦国史跡巡り講座』投稿時の情報です。 営業状況が変更されている可能性もありますので、お出かけの際は事前にご確認いただきますようお願いいたします。
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紹介スポット
- 451件春日井市大留6町目にある子安神明社は、戦国時代の小牧・長久手の戦いで羽柴軍の池田恒興に味方した村瀬作右衛門の居城跡です。 大留城跡は現在子安神社になっており、境内には大留城跡と刻まれた石碑があります。 あとは空堀の遺構らしきものが残っています 石碑の横を見てみると、天正年中村瀬作右ェ門居城と刻まれています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2462


大留城跡は現在子安神社であり、境内には大留城跡と刻まれた石碑がある。子安神明社は、戦国時代の小牧・長久手の戦いで羽柴軍の池田恒興に味方した村瀬作右衛門の居城跡
春日井市大留6町目にある子安神明社は、戦国時代の小牧・長久手の戦いで羽柴軍の池田恒興に味方した村瀬作右衛門の居城跡です。 大留城跡は現在子安神社になっており、境内には大留城跡と刻まれた石碑があります。 あとは空堀の遺構らしきものが残っています 石碑の横を見てみると、天正年中村瀬作右ェ門居城と刻まれています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2462
勝手神社脇の看板を見ると、竹やぶの小路(こみち)という記載がありますが、ここに金谷城の堀跡と土塁跡が残っています。 まず堀跡は名鉄三河線の線路下の道。現在は通路となっていますが、勝手神社がある場所から見ると低い場所にあり、ここが堀の跡です。 竹やぶの中には土塁があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2286

勝手神社脇の看板を見ると、竹やぶの小路(こみち)という記載がありますが、ここに金谷城の堀跡と土塁跡が残っています。 まず堀跡は名鉄三河線の線路下の道。現在は通路となっていますが、勝手神社がある場所から見ると低い場所にあり、ここが堀の跡です。 竹やぶの中には土塁があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2286
新東名高速道路の建設で消滅してしまった戦国時代の砦跡があります。それが中山砦です。 中山砦とは、長篠設楽ヶ原合戦の時に徳川方だった長篠城を包囲していた武田軍の5つの砦のひとつです。 そんな中山砦は長篠設楽原合戦後、400年以上もそのままの状態だったのですが、新東名高速道路の進路にあたり、削られて高架になってしまいました。 その建設工事の時、新城市に在住の郷土史家・梶村昌義氏の働きかけにより、新東名高速道路工事が終了した時にNEXCO中日本が歴史公園を建設しました。 それが中山砦歴史公園です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1208


新東名高速道路の建設で消滅してしまった戦国時代の砦跡である、中山砦。中山砦とは、長篠設楽ヶ原合戦の時に徳川方だった長篠城を包囲していた武田軍の5つの砦のひとつ
新東名高速道路の建設で消滅してしまった戦国時代の砦跡があります。それが中山砦です。 中山砦とは、長篠設楽ヶ原合戦の時に徳川方だった長篠城を包囲していた武田軍の5つの砦のひとつです。 そんな中山砦は長篠設楽原合戦後、400年以上もそのままの状態だったのですが、新東名高速道路の進路にあたり、削られて高架になってしまいました。 その建設工事の時、新城市に在住の郷土史家・梶村昌義氏の働きかけにより、新東名高速道路工事が終了した時にNEXCO中日本が歴史公園を建設しました。 それが中山砦歴史公園です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1208
妙興寺ですが、本堂の前に上泉伊勢守信綱居士修道跡と刻まれた石碑が建ってます。 石碑の隣に建つ看板。 ここにも上泉伊勢守信綱が修行していた事と柳生宗厳の無刀取りについての説明があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3925

妙興寺ですが、本堂の前に上泉伊勢守信綱居士修道跡と刻まれた石碑が建ってます。 石碑の隣に建つ看板。 ここにも上泉伊勢守信綱が修行していた事と柳生宗厳の無刀取りについての説明があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3925
愛知県春日井市の名鉄・間内(まない)駅前に、何やら銅像が建っています。 実はこれ、近江(滋賀県)小谷城主だった浅井長政なのです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2044

愛知県春日井市の名鉄・間内(まない)駅前に、何やら銅像が建っています。 実はこれ、近江(滋賀県)小谷城主だった浅井長政なのです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2044
筒井の前を通る県道78号線(安城幸田線)を渡ると浅黄(あさぎ)井の石碑があります。 浅黄井は石碑のみで井戸は残っていません。 あと浅黄井のある場所も興味深いポイントがあるのです。 先程の古地図を見てみると、浅黄井も記載があるのですが、井戸の横(西側)に道があります。 赤い矢印で示した道ですが、これは旧街道だと思います。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3409

筒井の前を通る県道78号線(安城幸田線)を渡ると浅黄(あさぎ)井の石碑があります。 浅黄井は石碑のみで井戸は残っていません。 あと浅黄井のある場所も興味深いポイントがあるのです。 先程の古地図を見てみると、浅黄井も記載があるのですが、井戸の横(西側)に道があります。 赤い矢印で示した道ですが、これは旧街道だと思います。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3409
愛知県清須市鍋片2丁目の鍋方公民館の隣りに、石垣作りのこんもりとした場所があります。実はこの場所はかつての清洲城の外堀近くの土塁(土居)跡です。 中に入ると清須城土居之趾(清洲城の土塁跡)という石碑が建っています。 この土塁はかつての清洲城の外堀に面していた土塁と思われるので、つまりここまで清洲城の城内だったということです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3514

愛知県清須市鍋片2丁目の鍋方公民館の隣りに、石垣作りのこんもりとした場所があります。実はこの場所はかつての清洲城の外堀近くの土塁(土居)跡です。 中に入ると清須城土居之趾(清洲城の土塁跡)という石碑が建っています。 この土塁はかつての清洲城の外堀に面していた土塁と思われるので、つまりここまで清洲城の城内だったということです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3514
西尾城は二の丸に天守がありました。 現在では天守台だけが再建されています。 これから西尾城の天守が再建されるそうですが待ち遠しいですね。 現在では広い削平地だけですが、井戸跡や発掘調査で出てきた再利用の石など、見るポイントはいくつかあります。 ちなみに天守台の石垣の石は、幡豆石(はずいし)といわれるもので、西尾市南部で採掘された石です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697


西尾城は二の丸に天守があり、現在は天守台だけが再建されている。現在では広い削平地だけだが、井戸跡や発掘調査で出てきた再利用の石など、見るポイントはいくつかある。
西尾城は二の丸に天守がありました。 現在では天守台だけが再建されています。 これから西尾城の天守が再建されるそうですが待ち遠しいですね。 現在では広い削平地だけですが、井戸跡や発掘調査で出てきた再利用の石など、見るポイントはいくつかあります。 ちなみに天守台の石垣の石は、幡豆石(はずいし)といわれるもので、西尾市南部で採掘された石です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697
西尾城は二の丸に天守があり、本丸に丑寅(うしとら)櫓がありました。 この丑寅櫓は平成八年(1996)に再建されて、現在も中に入る事ができます。 入場料は無料です。 中は2階になっており、展示物はありません。 構造を楽しむという感じですね。 2階から天守台を見ると、その向こうに見える旧城下町も望む事ができます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697

西尾城は二の丸に天守があり、本丸に丑寅(うしとら)櫓がありました。 この丑寅櫓は平成八年(1996)に再建されて、現在も中に入る事ができます。 入場料は無料です。 中は2階になっており、展示物はありません。 構造を楽しむという感じですね。 2階から天守台を見ると、その向こうに見える旧城下町も望む事ができます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697
これは西尾城丁田(ちょうだ)門址。 かつてここに門があったという事です。 現在では思いっきり道路になっていますが、石碑と案内看板、そして絵図があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697

これは西尾城丁田(ちょうだ)門址。 かつてここに門があったという事です。 現在では思いっきり道路になっていますが、石碑と案内看板、そして絵図があります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=697