
大河ドラマでも注目!源頼朝の足跡を辿る

2022年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目度の高かった、源頼朝。 HP「yoritomo-japan.com」は源頼朝が創造した武家の都「鎌倉」とその関係地をめぐった記録。 今回、その「yoritomo-japan.com」にご協力いただき、紹介されているスポットをブックにしました! みなさまの歴史旅・歴史散歩のお供にぜひご覧ください。 ※営業状況等変更になっている可能性があります。お出かけの際は、事前にご確認ください。 yoritomo-japan.com
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紹介スポット
- 404件六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人によって951年(天暦5年)に開かれた西光寺を前身としている。 西国三十三箇所第十七番札所。 平安時代の後期になると、平忠盛以来、清盛・重盛と続く平家一門の屋敷が建ち並び、その数は5200余りに及んだという。 1183年(寿永2年)7月25日、没落した平家一門が都を落ちる際には、その兵火で諸堂が焼失し本堂のみが残された。 源頼朝は、その再興修復を助勢している。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


六波羅蜜寺は、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人によって951年(天暦5年)に開かれた西光寺を前身としている。 西国三十三箇所第十七番札所。 平安時代の後期になると、平忠盛以来、清盛・重盛と続く平家一門の屋敷が建ち並び、その数は5200余りに及んだという。 1183年(寿永2年)7月25日、没落した平家一門が都を落ちる際には、その兵火で諸堂が焼失し本堂のみが残された。 源頼朝は、その再興修復を助勢している。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

若宮大路は、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して造営された鶴岡八幡宮の参道。 鶴岡八幡宮と由比ヶ浜を一直線に結ぶ鎌倉の中心線。 遠近法が採用され、鶴岡八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/wakamiya-oj...


若宮大路は、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して造営された鶴岡八幡宮の参道。 鶴岡八幡宮と由比ヶ浜を一直線に結ぶ鎌倉の中心線。 遠近法が採用され、鶴岡八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/wakamiya-oj...

若宮大路の中央に一段高く造られたのが「段葛」。 若宮大路の造営と同じ時期に造られたものと考えられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/dankazura.h...


若宮大路の中央に一段高く造られたのが「段葛」。 若宮大路の造営と同じ時期に造られたものと考えられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/dankazura.h...

江の島は、周囲4キロの陸繋島。 かつては、島全体が神仏混淆の霊地として信仰を集めた。 江島神社は、552年、欽明天皇の勅命で、島の岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。 海運、漁業、交通の守護神として祀られ、御窟(おんいわや)を本宮、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。 その後、神仏習合によって「金亀山与願寺」となるが、1182年(寿永元年)、源頼朝が文覚に命じて、奥州平泉の藤原秀衡調伏祈願のために弁財天を勧請したときをその創建とする説もある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/enosima.htm...


江の島は、周囲4キロの陸繋島。 かつては、島全体が神仏混淆の霊地として信仰を集めた。 江島神社は、552年、欽明天皇の勅命で、島の岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。 海運、漁業、交通の守護神として祀られ、御窟(おんいわや)を本宮、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。 その後、神仏習合によって「金亀山与願寺」となるが、1182年(寿永元年)、源頼朝が文覚に命じて、奥州平泉の藤原秀衡調伏祈願のために弁財天を勧請したときをその創建とする説もある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/enosima.htm...

晴明神社は、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明の屋敷跡に建てられた社。 1005年(寛弘2年)9月26日、晴明が亡くなると、一条天皇はその偉業を讃え、1007年(寛弘4年)に晴明を祀る社を創建した。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...




1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、仮の御所として安倍晴明の護符が貼られた建物を移築させた。

晴明神社は、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明の屋敷跡に建てられた社。 1005年(寛弘2年)9月26日、晴明が亡くなると、一条天皇はその偉業を讃え、1007年(寛弘4年)に晴明を祀る社を創建した。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

宝生寺は山号を「懐嶋山」という高野山真言宗の寺。 本尊は大日如来。 阿弥陀堂に安置されている阿弥陀三尊像は、信濃善光寺の本尊の模像で、1195年(建久6年)の造立といわれ、懐島郷を領していた大庭景義の持仏ではないかともいわれている像。 国の重用文化財に指定されている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/hoshoji-tig...


宝生寺は山号を「懐嶋山」という高野山真言宗の寺。 本尊は大日如来。 阿弥陀堂に安置されている阿弥陀三尊像は、信濃善光寺の本尊の模像で、1195年(建久6年)の造立といわれ、懐島郷を領していた大庭景義の持仏ではないかともいわれている像。 国の重用文化財に指定されている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/hoshoji-tig...

鶴嶺八幡宮は、1030年(長元3年)、源頼義が平忠常の乱を鎮圧する際、懐島郷矢畑に京都の石清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮を創建したことに始まるのだと伝えられている。 前九年の役(1055年(天喜3年))の際にも戦勝祈願が行われ、1063年(康平6年)に反乱を鎮圧すると、鎌倉の由比郷に懐島八幡宮を勧請したといわれる。 頼義の子義家は、後三年の役の際に祈願し、勝利したことから、1089年(寛治3年)、隣郷の浜之郷に社領を寄進して現在の鶴嶺八幡宮を創建した。 1191年(建久2年)には、源頼朝の命により大庭景義が社殿を修復して再興。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/turuminehat...


鶴嶺八幡宮は、1030年(長元3年)、源頼義が平忠常の乱を鎮圧する際、懐島郷矢畑に京都の石清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮を創建したことに始まるのだと伝えられている。 前九年の役(1055年(天喜3年))の際にも戦勝祈願が行われ、1063年(康平6年)に反乱を鎮圧すると、鎌倉の由比郷に懐島八幡宮を勧請したといわれる。 頼義の子義家は、後三年の役の際に祈願し、勝利したことから、1089年(寛治3年)、隣郷の浜之郷に社領を寄進して現在の鶴嶺八幡宮を創建した。 1191年(建久2年)には、源頼朝の命により大庭景義が社殿を修復して再興。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/turuminehat...

源頼朝は、1198年(建久9年)12月27日、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた稲毛重成が、亡き妻の冥福を祈るために行った「相模川の橋供養」に参列した。 その帰路、鶴嶺八幡宮にさしかかった所で、弟源義経や叔父源行家らの亡霊に現われて頼朝は落馬。 その怪我が原因で翌年1月13日に亡くなったのだと伝えられている。 鶴嶺八幡宮の大鳥居を入った右側には、後年、里人によって義経一族の霊を慰めるため造ったとされる「弁慶塚」がある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/benkei-tuka...


源頼朝は、1198年(建久9年)12月27日、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた稲毛重成が、亡き妻の冥福を祈るために行った「相模川の橋供養」に参列した。 その帰路、鶴嶺八幡宮にさしかかった所で、弟源義経や叔父源行家らの亡霊に現われて頼朝は落馬。 その怪我が原因で翌年1月13日に亡くなったのだと伝えられている。 鶴嶺八幡宮の大鳥居を入った右側には、後年、里人によって義経一族の霊を慰めるため造ったとされる「弁慶塚」がある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/benkei-tuka...

御霊神社の創建年は不詳だが、隣接する御霊山西運寺にあった毘沙門堂が幾多の変遷を経て御霊神社となったのだという。 伝説によると・・・ 西運寺の毘沙門堂は、大庭景義が先祖の鎌倉権五郎景政を祀ったのが始まりで、源頼朝の前に亡霊となって現れた源義経が合祀されたのだとか。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/gorei-tigas...


御霊神社の創建年は不詳だが、隣接する御霊山西運寺にあった毘沙門堂が幾多の変遷を経て御霊神社となったのだという。 伝説によると・・・ 西運寺の毘沙門堂は、大庭景義が先祖の鎌倉権五郎景政を祀ったのが始まりで、源頼朝の前に亡霊となって現れた源義経が合祀されたのだとか。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/gorei-tigas...

宗徳院(そうとくいん)は、延喜年間(901年-923年)に弘法大師(空海)が延命地蔵菩薩を本尊とした堂を建立したのが始まりと伝えられている。 蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、源氏再興を祈願するため三嶋大社への百日間の日参を始めると、宗徳院の本尊延命地蔵菩薩も祈願仏として詣でたのだという。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/sotokuin-mi...


宗徳院(そうとくいん)は、延喜年間(901年-923年)に弘法大師(空海)が延命地蔵菩薩を本尊とした堂を建立したのが始まりと伝えられている。 蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、源氏再興を祈願するため三嶋大社への百日間の日参を始めると、宗徳院の本尊延命地蔵菩薩も祈願仏として詣でたのだという。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/sotokuin-mi...
