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源頼朝は、1198年(建久9年)12月27日、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた稲毛重成が、亡き妻の冥福を祈るために行った「相模川の橋供養」に参列した。  その帰路、鶴嶺八幡宮にさしかかった所で、弟源義経や叔父源行家らの亡霊に現われて頼朝は落馬。  その怪我が原因で翌年1月13日に亡くなったのだと伝えられている。  鶴嶺八幡宮の大鳥居を入った右側には、後年、里人によって義経一族の霊を慰めるため造ったとされる「弁慶塚」がある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/benkei-tuka...

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2021/2/7

頼朝は、相模川の橋の竣工式に出席した帰途、鶴嶺八幡宮鳥居があるこの場所あたりで義経や弁慶の亡霊に遭い、それに驚いて直立した馬から落馬し、それがもとで死んだという言われがあります。一方で辻堂駅南口から歩いてすぐのところに、頼朝落馬の地に関する場所があります。その義経と弁慶の霊を祀ってあるのが、それぞれ鳥井戸橋の南側にある御霊神社、北側の鶴嶺八幡社参道入口にある弁慶塚であり、弁慶塚は消滅した供養塔を地元有志の方が復元したそうです。 city.chigasaki.kanagawa.jp/kan... naemon.jp/kanagawa/benkeiduka.... yoritomo-japan.com/benkei-tuka...

(編集済み)

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2021/2/7

国道1号の鳥井戸橋交差点にある鶴嶺八幡宮の鳥居を越えたすぐ横の民家奥にあります。このページを見ると以前は案内があったので入りやすかったようですが、今日はそれを見つけることができず…。実物を見たかったのですが、流石に入って良いのか分からず遠くからの撮影のみにしました…残念。 st.rim.or.jp/~success/tigasaki...

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