
大河ドラマでも注目!源頼朝の足跡を辿る

2022年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目度の高かった、源頼朝。 HP「yoritomo-japan.com」は源頼朝が創造した武家の都「鎌倉」とその関係地をめぐった記録。 今回、その「yoritomo-japan.com」にご協力いただき、紹介されているスポットをブックにしました! みなさまの歴史旅・歴史散歩のお供にぜひご覧ください。 ※営業状況等変更になっている可能性があります。お出かけの際は、事前にご確認ください。 yoritomo-japan.com
関連するめっけブック
関連するめっけブック
紹介スポット
- 404件常楽寺は、河越氏の館跡の一角に建てられている時宗の寺院。源頼朝に仕えた河越重頼と、その娘で源義経に嫁いだ郷御前、義経の供養塔が建てられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/kawagoe/jyo...


常楽寺は、河越氏の館跡の一角に建てられている時宗の寺院。源頼朝に仕えた河越重頼と、その娘で源義経に嫁いだ郷御前、義経の供養塔が建てられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/kawagoe/jyo...

大物主神社の創建は不詳だが、海に至る河口に点在していた三角州の一つに祭場として建てられたのがはじまりと伝えられる。 1159年(平治元年)、平清盛が厳島神社を勧請。 1185年(文治元年)、兄の源頼朝と対立して都を落ちた源義経は、神社近くにあった七軒長屋に逗留したのだと伝えられている。 義経が西国への逃亡の船出をした大物浦は、この神社の目の前だった。 江戸時代までは大物社・大物若宮・若宮社・若宮弁財天・若宮八幡などと称されたが、明治の神仏分離により大物主神社となった。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oomononusi....


大物主神社の創建は不詳だが、海に至る河口に点在していた三角州の一つに祭場として建てられたのがはじまりと伝えられる。 1159年(平治元年)、平清盛が厳島神社を勧請。 1185年(文治元年)、兄の源頼朝と対立して都を落ちた源義経は、神社近くにあった七軒長屋に逗留したのだと伝えられている。 義経が西国への逃亡の船出をした大物浦は、この神社の目の前だった。 江戸時代までは大物社・大物若宮・若宮社・若宮弁財天・若宮八幡などと称されたが、明治の神仏分離により大物主神社となった。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oomononusi....

四天王寺は、聖徳太子建立の七大寺の一つ。日本仏法最初の官寺。 日本に仏教が伝来すると、仏教信仰に反対する物部氏と賛成派の蘇我氏が対立、587年(用明天皇2年)になると武力闘争へと発展する。 その戦いで蘇我氏についた聖徳太子は、戦いの形勢不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「もし戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する」と誓願し、勝利を収めたのだと伝えられている(593年(推古天皇元年))。 『吾妻鏡』によると、1195年(建久6年)5月20日、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝が参詣している。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oosaka/site...


四天王寺は、聖徳太子建立の七大寺の一つ。日本仏法最初の官寺。 日本に仏教が伝来すると、仏教信仰に反対する物部氏と賛成派の蘇我氏が対立、587年(用明天皇2年)になると武力闘争へと発展する。 その戦いで蘇我氏についた聖徳太子は、戦いの形勢不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「もし戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する」と誓願し、勝利を収めたのだと伝えられている(593年(推古天皇元年))。 『吾妻鏡』によると、1195年(建久6年)5月20日、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝が参詣している。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oosaka/site...

住吉大社は、200年(仲哀天皇9年)、三韓征伐を行った神功皇后(じんぐうこうごう)が七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道)に帰還した際、神託により住吉三神を祀ったことに始まる。 遣隋使・遣唐使の守護神として崇敬され、多田源氏の祖・源満仲は、970年(天禄元年)、住吉大社に参籠し、神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を本拠地としている。 1195年(建久6年)、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝は、流鏑馬を奉納したと伝えられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oosaka/sumi...


住吉大社は、200年(仲哀天皇9年)、三韓征伐を行った神功皇后(じんぐうこうごう)が七道の浜(現在の大阪府堺市堺区七道)に帰還した際、神託により住吉三神を祀ったことに始まる。 遣隋使・遣唐使の守護神として崇敬され、多田源氏の祖・源満仲は、970年(天禄元年)、住吉大社に参籠し、神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を本拠地としている。 1195年(建久6年)、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝は、流鏑馬を奉納したと伝えられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/oosaka/sumi...

義仲寺(ぎちゅうじ)は、天台宗系の単立寺院。 本尊は聖観音菩薩。 山号は朝日山。 寺名は、源頼朝軍に敗れて粟津で最期を遂げた木曽義仲(源義仲)がここに葬られたことに由来している。 創建年は不明だが、義仲の愛妾・巴御前が墓所の近くに草庵を結んで供養したことにはじまると伝えられる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


義仲寺(ぎちゅうじ)は、天台宗系の単立寺院。 本尊は聖観音菩薩。 山号は朝日山。 寺名は、源頼朝軍に敗れて粟津で最期を遂げた木曽義仲(源義仲)がここに葬られたことに由来している。 創建年は不明だが、義仲の愛妾・巴御前が墓所の近くに草庵を結んで供養したことにはじまると伝えられる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

三会寺(さんねじ)は、高野山真言宗の寺院。 創建年は不明だが、一説によると、源頼朝が佐々木高綱に命じて建立させたのだという。 山号は瑞雲山。 本尊は弥勒菩薩。 三会寺の名は、釈迦の入滅から56億7000万年後に弥勒菩薩が現れて、竜華樹の下で悟りを開き、人々を救済するために三度にわたって説法するという龍華三会に由来しているのだとか。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/toriyama-sa...


三会寺(さんねじ)は、高野山真言宗の寺院。 創建年は不明だが、一説によると、源頼朝が佐々木高綱に命じて建立させたのだという。 山号は瑞雲山。 本尊は弥勒菩薩。 三会寺の名は、釈迦の入滅から56億7000万年後に弥勒菩薩が現れて、竜華樹の下で悟りを開き、人々を救済するために三度にわたって説法するという龍華三会に由来しているのだとか。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/toriyama-sa...

赤間神宮は、源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」で亡くなった安徳天皇を祀る社。859年(貞観元年)に開かれた阿弥陀寺を始まりとし、1191年(建久2年)に後鳥羽天皇の勅命により御影堂が建立され、江戸時代までは安徳天皇御影堂と称され崇敬された。 明治の神仏分離によって阿弥陀寺が廃されて天皇社となり、1875年(明治8年)に赤間宮に改称、さらに1940年(昭和15年)、赤間神宮に改称。境内には平家一門の墓が建てられている。水天門は壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇が住んだという竜宮城をイメージした門。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/dannoura/ak...


赤間神宮は、源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」で亡くなった安徳天皇を祀る社。859年(貞観元年)に開かれた阿弥陀寺を始まりとし、1191年(建久2年)に後鳥羽天皇の勅命により御影堂が建立され、江戸時代までは安徳天皇御影堂と称され崇敬された。 明治の神仏分離によって阿弥陀寺が廃されて天皇社となり、1875年(明治8年)に赤間宮に改称、さらに1940年(昭和15年)、赤間神宮に改称。境内には平家一門の墓が建てられている。水天門は壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇が住んだという竜宮城をイメージした門。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/dannoura/ak...

「祇園さん」と親しまれている祇園八坂神社。 平安以前の656年(斉明天皇2年)の創建と伝えられている。 もとは、祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神としていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたが、明治の神仏分離によって「八坂神社」と改められた。 現在の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


「祇園さん」と親しまれている祇園八坂神社。 平安以前の656年(斉明天皇2年)の創建と伝えられている。 もとは、祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神としていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたが、明治の神仏分離によって「八坂神社」と改められた。 現在の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

1184年(元暦元年)11月、源頼朝により源立寿寺として再建されたのち、嘉元年間(1303年から1306年)に日秀が日蓮宗の寺とした。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/honrenji.ht...


1184年(元暦元年)11月、源頼朝により源立寿寺として再建されたのち、嘉元年間(1303年から1306年)に日秀が日蓮宗の寺とした。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/honrenji.ht...

源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。 のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社殿を建立させた。 それが佐助稲荷神社の始まり。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137sasu...


源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。 のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社殿を建立させた。 それが佐助稲荷神社の始まり。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137sasu...
