全国の過去の災害を石碑が教えてくれます。
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紹介スポット
- 1088件東日本大震災津波記念碑(東日本大震災)
岩手県下閉伊郡/東日本大震災(2011年3月11日)/2020年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
2011年3月11日午後2時46分発生の東北地方太平洋沖地震による津波は、多くの地域に多大な被害をもたらした。岩泉町では小本漁港で最大20.4m、茂師漁港で最大24.6mの津波が到達し、被害は住家208棟、死者13人、被害総額44億1千万円にのぼる。「命を守れ」とともに「地震の後には津波が来る 避難を呼びかけ高台に逃げろ」など5つの教訓を刻む。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
岩手県下閉伊郡/東日本大震災(2011年3月11日)/2020年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
2011年3月11日午後2時46分発生の東北地方太平洋沖地震による津波は、多くの地域に多大な被害をもたらした。岩泉町では小本漁港で最大20.4m、茂師漁港で最大24.6mの津波が到達し、被害は住家208棟、死者13人、被害総額44億1千万円にのぼる。「命を守れ」とともに「地震の後には津波が来る 避難を呼びかけ高台に逃げろ」など5つの教訓を刻む。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
不慮の津浪に不断の注意(昭和三陸地震)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、3時2分に襲来した津波により、川尻地区で5名が亡くなり、8戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、3時2分に襲来した津波により、川尻地区で5名が亡くなり、8戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
地震に気を緊め津浪に避難(昭和三陸地震)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、2時55分に襲来した津波により、大浜地区で22名が亡くなり、8戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、2時55分に襲来した津波により、大浜地区で22名が亡くなり、8戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
想へ惨禍の三月三日(昭和三陸地震)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、2時52分に襲来した津波により、八木地区で91名が亡くなり、37戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、2時52分に襲来した津波により、八木地区で91名が亡くなり、37戸が流失した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三陸津浪記念碑(昭和三陸地震)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、3時に津波が襲来した。旧中野村(洋野町中野、有家、小子内)では、死者6名、流失倒壞家屋6戸、漁船や漁具の被害も甚大であった。「地震があったら津浪の用心 津浪が來たなら高い所へ あぶない所に家を建てるな」 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
岩手県九戸郡/昭和三陸地震(1933年3月3日)/1934年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和8年(1933)3月3日、午前2時30分強い地震(昭和三陸地震)があり、3時に津波が襲来した。旧中野村(洋野町中野、有家、小子内)では、死者6名、流失倒壞家屋6戸、漁船や漁具の被害も甚大であった。「地震があったら津浪の用心 津浪が來たなら高い所へ あぶない所に家を建てるな」 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
防水記念碑(洪水)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1897年8月9日、1926年8月)/1927年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
雄物川沿岸にある道地集落は毎年のように洪水被害を受けてきた。特に明治27年(1894)、明治30年(1897)の洪水では、数十ヘクタールの水田が被害を受け、河床も変わり、降雨のたびに家屋は河水で浸水した。大正15年(1926)8月にも2回の大洪水があり、集落の田畑の約4割(50ヘクタール)を失い、道路や橋も被害を受けた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1897年8月9日、1926年8月)/1927年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
雄物川沿岸にある道地集落は毎年のように洪水被害を受けてきた。特に明治27年(1894)、明治30年(1897)の洪水では、数十ヘクタールの水田が被害を受け、河床も変わり、降雨のたびに家屋は河水で浸水した。大正15年(1926)8月にも2回の大洪水があり、集落の田畑の約4割(50ヘクタール)を失い、道路や橋も被害を受けた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
移転記念碑(洪水)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1947年7月22日、1948年8月13日)/1955年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
深井集落では、明治27年(1894)の洪水では水深2~3mも浸水、昭和22年(1947)7月22日の降雨では雄物川が数時間の内に5.8mも増水したため115戸全戸が床上浸水し、昭和23年(1948)にも大洪水があった。昭和25年(1950)着手の河川改修工事により、集落の大半が川床になることになり、63戸が南形字大巻に集団移転した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1947年7月22日、1948年8月13日)/1955年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
深井集落では、明治27年(1894)の洪水では水深2~3mも浸水、昭和22年(1947)7月22日の降雨では雄物川が数時間の内に5.8mも増水したため115戸全戸が床上浸水し、昭和23年(1948)にも大洪水があった。昭和25年(1950)着手の河川改修工事により、集落の大半が川床になることになり、63戸が南形字大巻に集団移転した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
大洪水水位標示碑(洪水)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1947年7月22日)/2009年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
旧福地村では明治27年(1894)8月25日の大洪水で死者4名、流失家屋19戸、床上浸水243戸の被害となり、当時の水位はこの石碑の高さまで達した。また昭和22年(1947)7月22日の洪水では、231戸が床上浸水し、この時の水位は左側面の線までであった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
秋田県横手市/洪水(1894年8月25日、1947年7月22日)/2009年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
旧福地村では明治27年(1894)8月25日の大洪水で死者4名、流失家屋19戸、床上浸水243戸の被害となり、当時の水位はこの石碑の高さまで達した。また昭和22年(1947)7月22日の洪水では、231戸が床上浸水し、この時の水位は左側面の線までであった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
濤安(とあ)の乙女(日本海中部地震)
秋田県山本郡/日本海中部地震(1983年5月26日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和58年(1983)5月26日、日本海中部地震(マグニチュード7.7)により秋田・青森沿岸を中心に津波が襲来した。この天災により旧八森町では10名(町外5名)の方が亡くなっている。被害住家211棟、被害漁船216隻。日本海に津波がないという迷信は完全に打ち破られた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
秋田県山本郡/日本海中部地震(1983年5月26日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和58年(1983)5月26日、日本海中部地震(マグニチュード7.7)により秋田・青森沿岸を中心に津波が襲来した。この天災により旧八森町では10名(町外5名)の方が亡くなっている。被害住家211棟、被害漁船216隻。日本海に津波がないという迷信は完全に打ち破られた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
鎮魂(ちんこん)(日本海中部地震)
秋田県山本郡/日本海中部地震(1983年5月26日)/1984年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和58年(1983)5月26日、日本海中部地震(マグニチュード7.7)により秋田・青森沿岸を中心に津波が襲来した。旧峰浜村では約14mの津波を記録、村民7名(旧峰浜村内で5名、能代港での工事現場で2名)の方が亡くなっており、その名が碑に刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
秋田県山本郡/日本海中部地震(1983年5月26日)/1984年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和58年(1983)5月26日、日本海中部地震(マグニチュード7.7)により秋田・青森沿岸を中心に津波が襲来した。旧峰浜村では約14mの津波を記録、村民7名(旧峰浜村内で5名、能代港での工事現場で2名)の方が亡くなっており、その名が碑に刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
激甚災害復旧記念碑(洪水・土石流)
山形県鶴岡市/洪水・土石流(1987年8月29日)/1990年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和62年(1987)8月29日、日本海中部に前線を伴った低気圧が東北東に進んだために、旧温海町は記録的な集中豪雨となり大水害に襲われた。住宅全壊2戸、床上浸水24戸、山林の崩壊による土石流の発生、河川堤防、道路の決壊、農地の流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
山形県鶴岡市/洪水・土石流(1987年8月29日)/1990年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和62年(1987)8月29日、日本海中部に前線を伴った低気圧が東北東に進んだために、旧温海町は記録的な集中豪雨となり大水害に襲われた。住宅全壊2戸、床上浸水24戸、山林の崩壊による土石流の発生、河川堤防、道路の決壊、農地の流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害復旧竣工記念碑(洪水・土石流)
山形県鶴岡市/洪水・土石流(1987年8月29日)/1990年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和62年(1987)8月29日、日本海中部に前線を伴った低気圧が東北東に進んだために、旧温海町は記録的な集中豪雨となり大水害に襲われた。住宅全壊2戸、床上浸水24戸、山林の崩壊による土石流の発生、河川堤防、道路の決壊、農地の流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
山形県鶴岡市/洪水・土石流(1987年8月29日)/1990年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和62年(1987)8月29日、日本海中部に前線を伴った低気圧が東北東に進んだために、旧温海町は記録的な集中豪雨となり大水害に襲われた。住宅全壊2戸、床上浸水24戸、山林の崩壊による土石流の発生、河川堤防、道路の決壊、農地の流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
甲午震災記念碑(庄内地震)
山形県酒田市/庄内地震(1894年10月22日)/1900年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大地震にみまわれた。夕飯の時刻でもあったので火災も発生し、かつてないほどの大惨事となった。酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者が出た。庄内全体で死者700人を越し、焼失家屋も2500棟を越した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
山形県酒田市/庄内地震(1894年10月22日)/1900年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大地震にみまわれた。夕飯の時刻でもあったので火災も発生し、かつてないほどの大惨事となった。酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者が出た。庄内全体で死者700人を越し、焼失家屋も2500棟を越した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
東日本大震災追悼伝承之碑(東日本大震災)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2018年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23(2011)年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする巨大地震が発生し、東北・関東地方の沿岸部に大津波が押し寄せた。久之浜地区でも最大震度6弱の激しい揺れが5分ほど続き、午後3時30分ごろ、波高7.45mの巨大津波(第2波)が家々を襲い、田之網、久之浜、金ケ沢、末続地区で607世帯が被災し、59名の尊い命が失われた。大地震が起きたら大津波が来る。直ぐ逃げろ、高台へ。一度逃げたら絶対戻るな。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2018年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23(2011)年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする巨大地震が発生し、東北・関東地方の沿岸部に大津波が押し寄せた。久之浜地区でも最大震度6弱の激しい揺れが5分ほど続き、午後3時30分ごろ、波高7.45mの巨大津波(第2波)が家々を襲い、田之網、久之浜、金ケ沢、末続地区で607世帯が被災し、59名の尊い命が失われた。大地震が起きたら大津波が来る。直ぐ逃げろ、高台へ。一度逃げたら絶対戻るな。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
東日本大震災之碑(東日本大震災)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2018年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日に発生した、いわゆる東日本大震災と称される波高10メートルの大津波が当地区を襲来、犠牲者7名・流失及び同等家屋27戸の被害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2018年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日に発生した、いわゆる東日本大震災と称される波高10メートルの大津波が当地区を襲来、犠牲者7名・流失及び同等家屋27戸の被害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
東日本大震災慰霊碑(東日本大震災)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2019年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日、豊間地区は東日本大震災に伴う高さ8.5mの大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。流失家屋は400戸を超え、住民85名もの尊い命が失われた。大地震の教訓の継承と安全で住みよい「ふるさと豊間」の再生を願い、この碑を建立する。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
福島県いわき市/東日本大震災(2011年3月11日)/2019年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日、豊間地区は東日本大震災に伴う高さ8.5mの大津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた。流失家屋は400戸を超え、住民85名もの尊い命が失われた。大地震の教訓の継承と安全で住みよい「ふるさと豊間」の再生を願い、この碑を建立する。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
慰霊碑(東日本大震災による藤沼湖決壊)
福島県須賀川市/東日本大震災による藤沼湖決壊(2011年3月11日)/2021年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災によって、須賀川市は震度6強を観測し、農業用ダムである藤沼湖の堰堤が決壊、約150万トンの水が鉄砲水となって下流地域を襲った。滝・北町地区で7名の尊い命が奪われ、1名が行方不明、家屋流失全壊22戸、山林・田畑の土壌流失等の被害が発生し、稲作にも多大な影響を及ぼした。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
福島県須賀川市/東日本大震災による藤沼湖決壊(2011年3月11日)/2021年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成23年(2011)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災によって、須賀川市は震度6強を観測し、農業用ダムである藤沼湖の堰堤が決壊、約150万トンの水が鉄砲水となって下流地域を襲った。滝・北町地区で7名の尊い命が奪われ、1名が行方不明、家屋流失全壊22戸、山林・田畑の土壌流失等の被害が発生し、稲作にも多大な影響を及ぼした。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
震災追憶供養塔碑(関東大震災)
北鎌倉の建長寺に残る関東大震災の石碑。震源に近い古都・鎌倉では、由緒ある寺院や国宝などにも甚大な被害が及んでいます。(石碑は語る・森)
関東大震災では東京・下町で10万人以上が亡くなっていますが、古都・鎌倉でも甚大な被害に見舞われています。震源が相模湾北西部だったことから、鎌倉では大きな揺れと火災、さらには津波の三重苦にさらされました。建長寺では特別保護建造物の仏殿や唐門、書院、舎利殿、半増坊本殿などが損害を受けたほか、国宝北条時頼木像が破壊されました。さらに、円覚寺、東慶寺、長谷寺、極楽寺、鶴岡八幡宮などにも被害が及んでいます。(「石碑は語る」より)
北鎌倉の建長寺に残る関東大震災の石碑。震源に近い古都・鎌倉では、由緒ある寺院や国宝などにも甚大な被害が及んでいます。(石碑は語る・森)
関東大震災では東京・下町で10万人以上が亡くなっていますが、古都・鎌倉でも甚大な被害に見舞われています。震源が相模湾北西部だったことから、鎌倉では大きな揺れと火災、さらには津波の三重苦にさらされました。建長寺では特別保護建造物の仏殿や唐門、書院、舎利殿、半増坊本殿などが損害を受けたほか、国宝北条時頼木像が破壊されました。さらに、円覚寺、東慶寺、長谷寺、極楽寺、鶴岡八幡宮などにも被害が及んでいます。(「石碑は語る」より)
震嘯罹災記念の碑(昭和三陸地震)
昭和8年(1933年)、襟裳岬を直撃した昭和三陸地震津波の碑です。最大14.2㍍の波が襲来。「地震海鳴りそら津波」と記されています。(石碑は語る・森)
昭和8年(1933年)3月3日。春まだ遠い襟裳の町を、昭和三陸地震の大きな揺れが襲いました。東北地方に甚大な被害をもたらしたこの地震津波は、襟裳岬で二手に分かれ、東西両沿岸部の港を直撃。発生した時間も夜中の2時半すぎと、最悪。一度は避難の準備に入った住民も、揺れが収まったことで再び眠りに就いた者が多かったといいます。そうした人々の心の空きを津波は突いたのです。最大14・2㍍の第3波が襲い、沿岸部をことごとく流失させて13人の命を奪いました。えりも町には岬地区と庶野地区の2カ所に震嘯罹災記念の碑があり、碑文には「地震海鳴りそら津波」と記され、地震の後の津波を警告しています。(「石碑は語る」より)
昭和8年(1933年)、襟裳岬を直撃した昭和三陸地震津波の碑です。最大14.2㍍の波が襲来。「地震海鳴りそら津波」と記されています。(石碑は語る・森)
昭和8年(1933年)3月3日。春まだ遠い襟裳の町を、昭和三陸地震の大きな揺れが襲いました。東北地方に甚大な被害をもたらしたこの地震津波は、襟裳岬で二手に分かれ、東西両沿岸部の港を直撃。発生した時間も夜中の2時半すぎと、最悪。一度は避難の準備に入った住民も、揺れが収まったことで再び眠りに就いた者が多かったといいます。そうした人々の心の空きを津波は突いたのです。最大14・2㍍の第3波が襲い、沿岸部をことごとく流失させて13人の命を奪いました。えりも町には岬地区と庶野地区の2カ所に震嘯罹災記念の碑があり、碑文には「地震海鳴りそら津波」と記され、地震の後の津波を警告しています。(「石碑は語る」より)
時空翔(北海道南西沖地震)
平成5年(1993年)、奥尻島を襲った津波で青苗地区では壊滅的な被害を受けました。住民と観光客合わせて198名の犠牲者を悼んだ碑です。(石碑は語る・森)
アイヌ語の「イクンシュン・シリ(向こうの島)」がイクシリになまったといわれる奥尻島。東西11㌔、南北27㌔、周囲84㌔の、豆のような形をした島で、南には角のように突き出た青苗地区があります。震源に近いことで、地震と同時に発生した巨大な津波は約3分で島を直撃。場所によっては30㍍に達する巨大な津波高を記録しています。被害の大きかった青苗地区に慰霊碑「時空翔」と呼ばれるモニュメントが建てられました。円盤状のフォルムは、前向きに空へ飛び立つ翼をイメージしているといいます。真ん中の窪みは、ちょうど地震の発生した日と同じ7月12日、日本海に沈む夕日がこの溝を埋めます。(「石碑は語る」より)
平成5年(1993年)、奥尻島を襲った津波で青苗地区では壊滅的な被害を受けました。住民と観光客合わせて198名の犠牲者を悼んだ碑です。(石碑は語る・森)
アイヌ語の「イクンシュン・シリ(向こうの島)」がイクシリになまったといわれる奥尻島。東西11㌔、南北27㌔、周囲84㌔の、豆のような形をした島で、南には角のように突き出た青苗地区があります。震源に近いことで、地震と同時に発生した巨大な津波は約3分で島を直撃。場所によっては30㍍に達する巨大な津波高を記録しています。被害の大きかった青苗地区に慰霊碑「時空翔」と呼ばれるモニュメントが建てられました。円盤状のフォルムは、前向きに空へ飛び立つ翼をイメージしているといいます。真ん中の窪みは、ちょうど地震の発生した日と同じ7月12日、日本海に沈む夕日がこの溝を埋めます。(「石碑は語る」より)