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ゼロからはじめる愛知・戦国史跡巡り講座 - メイン画像

ゼロからはじめる愛知・戦国史跡巡り講座

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2022/5 作成2023/1/11 最終更新

ゼロからはじめる愛知・戦国史跡巡り講座

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2022/5 作成2023/1/11 最終更新

歴史初心者向けに作った愛知の戦国史跡と城跡そして御朱印巡りのサイト『ゼロからはじめる愛知の城跡と御朱印、戦国史跡巡り講座』に掲載されているスポットをMEQQE化しました。ウォーキングや歴史巡り・城巡り、観光にぜひご活用ください。 MEQQE内の情報は、ブログ『ゼロからはじめる愛知の城跡と御朱印、戦国史跡巡り講座』投稿時の情報です。 営業状況が変更されている可能性もありますので、お出かけの際は事前にご確認いただきますようお願いいたします。

紹介スポット

- 451件
常照寺 - おすすめ画像
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常照寺

長久手市の常照寺は、長久手合戦で討ち死にした池田恒興、池田元助、森長可、三将の墓がある真宗高田派の寺院。

長久手市の常照寺は、長久手合戦で討ち死にした池田恒興、池田元助、森長可、三将の墓がある真宗高田派の寺院です。 三将の墓への行き方ですが、本堂の裏に下り坂になっている裏道みたいな細い通路があります。 この坂を下るとちょうど本堂の裏側に出ます。 その下が墓地です。 看板によると左が池田恒興(勝入)、中央が森長可。 そして右側が紀伊守(きいのかみ)とあるので池田元助です 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2956

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常照寺 - トップ画像
常照寺愛知県長久手市桜作1101
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長久手市の常照寺は、長久手合戦で討ち死にした池田恒興、池田元助、森長可、三将の墓がある真宗高田派の寺院。

長久手市の常照寺は、長久手合戦で討ち死にした池田恒興、池田元助、森長可、三将の墓がある真宗高田派の寺院です。 三将の墓への行き方ですが、本堂の裏に下り坂になっている裏道みたいな細い通路があります。 この坂を下るとちょうど本堂の裏側に出ます。 その下が墓地です。 看板によると左が池田恒興(勝入)、中央が森長可。 そして右側が紀伊守(きいのかみ)とあるので池田元助です 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2956

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知立市 歴史民俗資料館 - おすすめ画像
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知立市 歴史民俗資料館

知立市歴史民俗資料館には知立市の歴史に関する展示が幅広くあり、その一角に重原(しげはら)城の展示がある。

知立市図書館の奥に知立市歴史民俗資料館があることをご存知ですか? ここは知立市の歴史に関する展示が幅広くありますが、その一角に重原(しげはら)城の展示があるのです。 重原城は織田信長の一代記である信長公記に出てくる城で、村木砦の戦いのほか、桶狭間合戦にも関連しているなど、ローカルではありますが知立市のディープな城跡です。 現地は民家と竹やぶになってますが、土塁、堀跡といわれる水路、また伝承の地が残っています。 展示の多くは重原城の発掘調査で出土したものです。戦国時代の鍋や天目茶碗を始めいろんなものが出土しました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=4015

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知立市 歴史民俗資料館 - トップ画像
知立市 歴史民俗資料館愛知県知立市南新地2丁目3−3
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知立市歴史民俗資料館には知立市の歴史に関する展示が幅広くあり、その一角に重原(しげはら)城の展示がある。

知立市図書館の奥に知立市歴史民俗資料館があることをご存知ですか? ここは知立市の歴史に関する展示が幅広くありますが、その一角に重原(しげはら)城の展示があるのです。 重原城は織田信長の一代記である信長公記に出てくる城で、村木砦の戦いのほか、桶狭間合戦にも関連しているなど、ローカルではありますが知立市のディープな城跡です。 現地は民家と竹やぶになってますが、土塁、堀跡といわれる水路、また伝承の地が残っています。 展示の多くは重原城の発掘調査で出土したものです。戦国時代の鍋や天目茶碗を始めいろんなものが出土しました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=4015

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曹洞宗桂林寺 - おすすめ画像
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曹洞宗桂林寺

愛知県丹羽郡大口町にある桂林寺は、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔がある寺です。堀尾吉晴といえば国宝松江城天守の築城に関わった戦国大名です。

愛知県丹羽郡大口町にある桂林寺は、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔がある寺です。 堀尾吉晴といえば国宝松江城天守の築城に関わった戦国大名ということで、近年注目度が上がっている武将です。 その堀尾吉晴の出身地が、現在の丹羽郡大口町なんですね。 本堂を越えて墓地へ行くと、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔のアクセス看板があります。三人の供養塔は地元の顕彰会が建立したもので、金助と母の供養塔が昭和46年。堀尾吉晴の供養塔が昭和47年に建てられました。供養塔なので遺骨は埋葬されていません。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3709

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曹洞宗桂林寺 - トップ画像
曹洞宗桂林寺愛知県丹羽郡大口町堀尾跡2丁目16
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愛知県丹羽郡大口町にある桂林寺は、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔がある寺です。堀尾吉晴といえば国宝松江城天守の築城に関わった戦国大名です。

愛知県丹羽郡大口町にある桂林寺は、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔がある寺です。 堀尾吉晴といえば国宝松江城天守の築城に関わった戦国大名ということで、近年注目度が上がっている武将です。 その堀尾吉晴の出身地が、現在の丹羽郡大口町なんですね。 本堂を越えて墓地へ行くと、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔のアクセス看板があります。三人の供養塔は地元の顕彰会が建立したもので、金助と母の供養塔が昭和46年。堀尾吉晴の供養塔が昭和47年に建てられました。供養塔なので遺骨は埋葬されていません。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3709

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成願寺 - おすすめ画像
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成願寺

成願寺は現在、名古屋市北区にあり、住所が成願寺2丁目なので、地名もそのまま成願寺。

成願寺は現在、名古屋市北区にあります。 住所が成願寺2丁目なので、地名もそのまま成願寺。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=738

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成願寺愛知県名古屋市北区成願寺2丁目3−28
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成願寺は現在、名古屋市北区にあり、住所が成願寺2丁目なので、地名もそのまま成願寺。

成願寺は現在、名古屋市北区にあります。 住所が成願寺2丁目なので、地名もそのまま成願寺。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=738

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荒子観音寺 - おすすめ画像
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荒子観音寺

名古屋市中川区の荒子観音は加賀百万石の祖・前田利家の菩提寺です。荒子観音から南に約350mほどのところに、前田利家の生誕地説がある荒子城跡があります。

名古屋市中川区の荒子観音は加賀百万石の祖・前田利家の菩提寺です。荒子観音から南に約350mほどのところに、前田利家の生誕地説がある荒子城跡があります。 また天正四年(1576)に前田利家により本堂が再建されており、この時、利家は自分の甲冑も寄贈しています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=4041

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荒子観音寺 - トップ画像
荒子観音寺愛知県名古屋市中川区荒子町字宮窓138
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名古屋市中川区の荒子観音は加賀百万石の祖・前田利家の菩提寺です。荒子観音から南に約350mほどのところに、前田利家の生誕地説がある荒子城跡があります。

名古屋市中川区の荒子観音は加賀百万石の祖・前田利家の菩提寺です。荒子観音から南に約350mほどのところに、前田利家の生誕地説がある荒子城跡があります。 また天正四年(1576)に前田利家により本堂が再建されており、この時、利家は自分の甲冑も寄贈しています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=4041

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正覚寺 - おすすめ画像
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正覚寺

清須市の正覚寺は、織田信長が建てた今川義元の供養塔(今川塚)が残る寺。正覚寺の創建は、松平忠吉が生母である宝台院の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられている

清須市の正覚寺は、織田信長が建てた今川義元の供養塔(今川塚)が残る寺です。 正覚寺の創建は関ヶ原合戦後の慶長八年(1603)、清洲城主・松平忠吉(徳川家康4男)が生母である宝台院の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。 正覚寺の前の道は、旧街道の美濃路。 江戸時代の中仙道と東海道を結ぶ街道です。  今川塚はもともと別の場所にあって、平成十九年に正覚寺に移されました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2254

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正覚寺 - トップ画像
正覚寺愛知県清須市須ケ口332
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清須市の正覚寺は、織田信長が建てた今川義元の供養塔(今川塚)が残る寺。正覚寺の創建は、松平忠吉が生母である宝台院の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられている

清須市の正覚寺は、織田信長が建てた今川義元の供養塔(今川塚)が残る寺です。 正覚寺の創建は関ヶ原合戦後の慶長八年(1603)、清洲城主・松平忠吉(徳川家康4男)が生母である宝台院の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。 正覚寺の前の道は、旧街道の美濃路。 江戸時代の中仙道と東海道を結ぶ街道です。  今川塚はもともと別の場所にあって、平成十九年に正覚寺に移されました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2254

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常福寺 - おすすめ画像
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常福寺

大府市半月町にある常福寺は平景清の菩提寺。地名の由来ですが、平景清が千手観音を半月ほどで彫ったことからこの地名が付いた。またその千手観音は常福寺の本尊でもある。

大府市半月(はんつき)町にある常福寺。ここは平景清の菩提寺です。 大府市半月町の地名の由来ですが、平景清が千手観音を半月(約15日)ほどで彫ったことからこの地名が付きました。 またその千手観音は常福寺の本尊でもあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3871

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常福寺 - トップ画像
常福寺愛知県大府市半月町3丁目151
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大府市半月町にある常福寺は平景清の菩提寺。地名の由来ですが、平景清が千手観音を半月ほどで彫ったことからこの地名が付いた。またその千手観音は常福寺の本尊でもある。

大府市半月(はんつき)町にある常福寺。ここは平景清の菩提寺です。 大府市半月町の地名の由来ですが、平景清が千手観音を半月(約15日)ほどで彫ったことからこの地名が付きました。 またその千手観音は常福寺の本尊でもあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3871

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勝鬘寺 - おすすめ画像
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勝鬘寺

岡崎市針崎町の勝鬘寺は戦国時代に本證寺、上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。

岡崎市針崎町の勝鬘寺は戦国時代に本證寺、上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。戦国時代の勝鬘寺は碧海荘赤渋(現在の岡崎市赤渋町)にあって、三河一向一揆の時、一揆勢がこの場所に立て籠もったワケでは有りません。再建は江戸時代です。本堂前の勝鬘寺の石碑を見てみると、永禄六年 三河一向一揆戦陣跡と刻まれています。場所はここではないのですけどね。現在の勝鬘寺は少し高い場所にあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3658

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勝鬘寺愛知県岡崎市針崎町字朱印地3
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岡崎市針崎町の勝鬘寺は戦国時代に本證寺、上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。

岡崎市針崎町の勝鬘寺は戦国時代に本證寺、上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。戦国時代の勝鬘寺は碧海荘赤渋(現在の岡崎市赤渋町)にあって、三河一向一揆の時、一揆勢がこの場所に立て籠もったワケでは有りません。再建は江戸時代です。本堂前の勝鬘寺の石碑を見てみると、永禄六年 三河一向一揆戦陣跡と刻まれています。場所はここではないのですけどね。現在の勝鬘寺は少し高い場所にあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3658

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大乗寺 - おすすめ画像
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大乗寺

愛知県安城市の安祥城址は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏&駿河の今川氏の攻防が激しかった城。現在、安城市歴史博物館と隣接する八幡社、大乗寺になっている

愛知県安城(あんじょう)市の安祥(あんしょう)城址は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏&駿河の今川氏の攻防が激しかった城です。 かつての安祥城は現在、安城市歴史博物館と隣接する八幡社、大乗寺になっています。 ふもとから見てみると、若干高い場所に大乗寺がある事がわかります 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=264

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大乗寺 - トップ画像
大乗寺愛知県安城市安城町赤塚1
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愛知県安城市の安祥城址は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏&駿河の今川氏の攻防が激しかった城。現在、安城市歴史博物館と隣接する八幡社、大乗寺になっている

愛知県安城(あんじょう)市の安祥(あんしょう)城址は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏&駿河の今川氏の攻防が激しかった城です。 かつての安祥城は現在、安城市歴史博物館と隣接する八幡社、大乗寺になっています。 ふもとから見てみると、若干高い場所に大乗寺がある事がわかります 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=264

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高徳院 - おすすめ画像
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高徳院

高徳院は明治26年(1893)に高野山より寺の名を請い受けて建立された真言宗の寺院です。高徳院が建つ場所は豊明側では今川義元の本陣があったとされる場所です。

高徳院は明治26年(1893)に高野山より寺の名を請い受けて建立された真言宗の寺院です。緑区の長福寺みたいに桶狭間合戦当時はありませんでしたが、高徳院が建つ場所は豊明側では今川義元の本陣があったとされる場所です。高徳院の本堂前にある今川義元公本陣跡の石碑は高徳院のふもとにある古戦場公園に義元のご子孫の方が建立されようとしましたが、古戦場公園は指定史跡のために新しく石碑を建立することができなかったのです。 そこで高徳院の山門をくぐったところに石碑を建立されたのですが、豊明市側の見解では、義元本陣は高台ではなく、古戦場公園がある低い場所との事。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=305

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高徳院愛知県豊明市栄町南舘3−2
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高徳院は明治26年(1893)に高野山より寺の名を請い受けて建立された真言宗の寺院です。高徳院が建つ場所は豊明側では今川義元の本陣があったとされる場所です。

高徳院は明治26年(1893)に高野山より寺の名を請い受けて建立された真言宗の寺院です。緑区の長福寺みたいに桶狭間合戦当時はありませんでしたが、高徳院が建つ場所は豊明側では今川義元の本陣があったとされる場所です。高徳院の本堂前にある今川義元公本陣跡の石碑は高徳院のふもとにある古戦場公園に義元のご子孫の方が建立されようとしましたが、古戦場公園は指定史跡のために新しく石碑を建立することができなかったのです。 そこで高徳院の山門をくぐったところに石碑を建立されたのですが、豊明市側の見解では、義元本陣は高台ではなく、古戦場公園がある低い場所との事。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=305

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瑞泉寺

犬山遊園駅に近い瑞泉寺。ここの山門が犬山城内田御門を移築したもの。瑞泉寺から犬山城を見ると、犬山城の側面みたいなアングルで天守の写真を撮る事ができる。

犬山遊園駅に近い瑞泉寺(ずいせんじ)。 ここの山門が犬山城内田御門を移築したものです。 瑞泉寺から犬山城を見ると、犬山城の側面みたいなアングルで天守の写真を撮る事ができます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3254

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瑞泉寺愛知県犬山市大字犬山字瑞泉寺7
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犬山遊園駅に近い瑞泉寺。ここの山門が犬山城内田御門を移築したもの。瑞泉寺から犬山城を見ると、犬山城の側面みたいなアングルで天守の写真を撮る事ができる。

犬山遊園駅に近い瑞泉寺(ずいせんじ)。 ここの山門が犬山城内田御門を移築したものです。 瑞泉寺から犬山城を見ると、犬山城の側面みたいなアングルで天守の写真を撮る事ができます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3254

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常泉寺

中村公園に隣接した常泉寺。ここには太閤(秀吉)の産湯井戸がある。寺の名前の由来にもなっている常泉寺には、豊富に湧き出る泉があり、かつて秀吉の産湯にも使われた。

こちらも中村公園に隣接した常泉寺。ここには太閤(秀吉)の産湯井戸があります。 寺の名前の由来にもなっている常泉寺には、豊富に湧き出る泉があり、それがかつて秀吉の産湯にも使われたそうです。 昭和四十年代に開発により水脈が途絶えたこともありましたが、その後復活して今でも水が湧き出ています。 秀吉手植えの柊(ひいらぎ)。天正十八年(1590)、小田原の陣の後、大坂城に凱旋途中の秀吉はこの地で一泊します。 当時、まだ常泉寺はなく、その時に小早川隆景、加藤清正に命じて寺の建立を命じるのですが、よく見ると秀吉が子供の頃に植えた柊が大きく育っていました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=819

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常泉寺愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47
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中村公園に隣接した常泉寺。ここには太閤(秀吉)の産湯井戸がある。寺の名前の由来にもなっている常泉寺には、豊富に湧き出る泉があり、かつて秀吉の産湯にも使われた。

こちらも中村公園に隣接した常泉寺。ここには太閤(秀吉)の産湯井戸があります。 寺の名前の由来にもなっている常泉寺には、豊富に湧き出る泉があり、それがかつて秀吉の産湯にも使われたそうです。 昭和四十年代に開発により水脈が途絶えたこともありましたが、その後復活して今でも水が湧き出ています。 秀吉手植えの柊(ひいらぎ)。天正十八年(1590)、小田原の陣の後、大坂城に凱旋途中の秀吉はこの地で一泊します。 当時、まだ常泉寺はなく、その時に小早川隆景、加藤清正に命じて寺の建立を命じるのですが、よく見ると秀吉が子供の頃に植えた柊が大きく育っていました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=819

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松平郷館

松平東照宮の敷地内にある資料館。松平家に関する資料が展示してあります。いろんな資料がありましたが、特に印象的だったのが、松平初代・親氏の木造でした。

松平東照宮の敷地内にある資料館。松平家に関する資料が展示してあります。いろんな資料がありましたが、特に印象的だったのが、松平初代・親氏の木造でした。なぜかというと、現在、松平郷には親氏の銅像が建立されていますが、その日本人離れした風貌と木造のギャップがあまりにも違うからです。これは是非、チェックしてみてください。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2551

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松平郷館愛知県豊田市松平町赤原13
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松平東照宮の敷地内にある資料館。松平家に関する資料が展示してあります。いろんな資料がありましたが、特に印象的だったのが、松平初代・親氏の木造でした。

松平東照宮の敷地内にある資料館。松平家に関する資料が展示してあります。いろんな資料がありましたが、特に印象的だったのが、松平初代・親氏の木造でした。なぜかというと、現在、松平郷には親氏の銅像が建立されていますが、その日本人離れした風貌と木造のギャップがあまりにも違うからです。これは是非、チェックしてみてください。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2551

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城跡公園 足助城(じょうせきこうえん あすけじょう) - おすすめ画像
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城跡公園 足助城(じょうせきこうえん あすけじょう)

豊田市足助町にある、三河足助城(真弓山城)では御城印(ごじょういん)を販売している。足助城の御城印を販売している場所ですが、入り口の管理事務所。

豊田市足助町にある、三河足助城(真弓山城)では御城印(ごじょういん)を販売しています。 足助城の御城印を販売している場所ですが、入り口の管理事務所です。 御城印とは、簡単にいうと城の御朱印みたいなもので、その城を訪れた時の記念証みたいなものです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2749

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城跡公園 足助城(じょうせきこうえん あすけじょう) - トップ画像
城跡公園 足助城(じょうせきこうえん あすけじょう)愛知県豊田市足助町須沢39-2
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豊田市足助町にある、三河足助城(真弓山城)では御城印(ごじょういん)を販売している。足助城の御城印を販売している場所ですが、入り口の管理事務所。

豊田市足助町にある、三河足助城(真弓山城)では御城印(ごじょういん)を販売しています。 足助城の御城印を販売している場所ですが、入り口の管理事務所です。 御城印とは、簡単にいうと城の御朱印みたいなもので、その城を訪れた時の記念証みたいなものです。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2749

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道の駅 立田ふれあいの里

古木江城跡の川を挟んだ西側には、道の駅・立田ふれあいの里がある。また道の駅・立田ふれあいの里は、愛西市特産の蓮根料理や地元野菜の販売も行っている。

古木江城跡の川を挟んだ西側には、道の駅・立田ふれあいの里があります。 また道の駅・立田ふれあいの里は、愛西市特産の蓮根料理や地元野菜の販売も行っていますので、古木江城跡と合わせてチェックしておきたい道の駅です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2266

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道の駅 立田ふれあいの里愛知県愛西市森川町井桁西27

古木江城跡の川を挟んだ西側には、道の駅・立田ふれあいの里がある。また道の駅・立田ふれあいの里は、愛西市特産の蓮根料理や地元野菜の販売も行っている。

古木江城跡の川を挟んだ西側には、道の駅・立田ふれあいの里があります。 また道の駅・立田ふれあいの里は、愛西市特産の蓮根料理や地元野菜の販売も行っていますので、古木江城跡と合わせてチェックしておきたい道の駅です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2266

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設楽町役場 田峯城 - おすすめ画像
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設楽町役場 田峯城

北設楽郡設楽町の田峯城は、戦国時代この地に勢力を持っていた田峯菅沼氏の居城跡。

北設楽郡設楽町の田峯城は、戦国時代この地に勢力を持っていた田峯菅沼氏の居城跡です。 本丸の中心地にある本丸御殿。 復元とされていますが、戦国時代に東三河の山岳地帯にこれだけ立派な御殿があったのか?という疑問も残りますが、この施設は有料で中に入ることができます。 中は部屋がいくつかあり、一番奥の大きな部屋は城主の間でしょうか。甲冑が数領、展示してありました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2198

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設楽町役場 田峯城愛知県北設楽郡設楽町田峯字城9
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北設楽郡設楽町の田峯城は、戦国時代この地に勢力を持っていた田峯菅沼氏の居城跡。

北設楽郡設楽町の田峯城は、戦国時代この地に勢力を持っていた田峯菅沼氏の居城跡です。 本丸の中心地にある本丸御殿。 復元とされていますが、戦国時代に東三河の山岳地帯にこれだけ立派な御殿があったのか?という疑問も残りますが、この施設は有料で中に入ることができます。 中は部屋がいくつかあり、一番奥の大きな部屋は城主の間でしょうか。甲冑が数領、展示してありました。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2198

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東浦町郷土資料館

緒川城の御城印は東浦町郷土資料館で販売している。東浦町郷土資料館は緒川城址から車で5分ほどの所にある。

緒川城の御城印は東浦町郷土資料館で販売しています。 1枚300円です。 東浦町郷土資料館は緒川城址から車で5分ほどの所にあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1389

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東浦町郷土資料館愛知県知多郡東浦町大字石浜字桜見台18−4
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緒川城の御城印は東浦町郷土資料館で販売している。東浦町郷土資料館は緒川城址から車で5分ほどの所にある。

緒川城の御城印は東浦町郷土資料館で販売しています。 1枚300円です。 東浦町郷土資料館は緒川城址から車で5分ほどの所にあります。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1389

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村木神社

織田信長が村木砦を攻める時に本陣を置いた場所。現在は村木神社になっていて、当時の遺構らしきものは残っていない。

織田信長が村木砦を攻める時に本陣を置いた場所です。 現在は村木神社になっていて、当時の遺構らしきものは残っていませんが、この本陣といわれる場所が、村木砦の戦いを研究する上で重要になってきます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1408

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村木神社愛知県知多郡東浦町大字森岡字天王西27
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織田信長が村木砦を攻める時に本陣を置いた場所。現在は村木神社になっていて、当時の遺構らしきものは残っていない。

織田信長が村木砦を攻める時に本陣を置いた場所です。 現在は村木神社になっていて、当時の遺構らしきものは残っていませんが、この本陣といわれる場所が、村木砦の戦いを研究する上で重要になってきます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1408

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野間大坊

野間大坊は天武天皇の時代に『阿弥陀寺』として建立された寺で、周辺には鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の父・源義朝や織田信長の三男・織田信孝が最後を迎えた地がある。

野間大坊は天武天皇(673~686)の時代に『阿弥陀寺』として建立された寺で、周辺には鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の父・源義朝や織田信長の三男・織田信孝が最後を迎えた地があります。 源義朝の墓は、大御堂寺の中にあります。墓の周辺を見るとたくさんの木が置いてあります 池禅尼(いけのぜんに)の墓もなぜか野間大坊にあります。 池禅尼は平清盛の継母に当たる女性で、義朝の息子・頼朝が処刑されそうになった時、清盛に頼み込んで処刑ではなく追放処分にしてくれた人物です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1465

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野間大坊愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50
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野間大坊は天武天皇の時代に『阿弥陀寺』として建立された寺で、周辺には鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の父・源義朝や織田信長の三男・織田信孝が最後を迎えた地がある。

野間大坊は天武天皇(673~686)の時代に『阿弥陀寺』として建立された寺で、周辺には鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝の父・源義朝や織田信長の三男・織田信孝が最後を迎えた地があります。 源義朝の墓は、大御堂寺の中にあります。墓の周辺を見るとたくさんの木が置いてあります 池禅尼(いけのぜんに)の墓もなぜか野間大坊にあります。 池禅尼は平清盛の継母に当たる女性で、義朝の息子・頼朝が処刑されそうになった時、清盛に頼み込んで処刑ではなく追放処分にしてくれた人物です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1465

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専修院

愛知県丹羽郡扶桑町の専修院には、犬山城の城門が移築されている。またこの専修院があった場所は戦国時代の砦跡でもある。

愛知県丹羽郡扶桑町の専修院には、犬山城の城門が移築されています。 またこの専修院があった場所は戦国時代の砦跡でもあるのです。 パッと見、薬医門に見えますが高麗門というタイプの門。 専修院は犬山城の移築門がある他にもうひとつ戦国ポイントがあります。 それが織田信長の砦跡という歴史です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3214

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専修院愛知県丹羽郡扶桑町大字柏森字乙西屋敷62
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愛知県丹羽郡扶桑町の専修院には、犬山城の城門が移築されている。またこの専修院があった場所は戦国時代の砦跡でもある。

愛知県丹羽郡扶桑町の専修院には、犬山城の城門が移築されています。 またこの専修院があった場所は戦国時代の砦跡でもあるのです。 パッと見、薬医門に見えますが高麗門というタイプの門。 専修院は犬山城の移築門がある他にもうひとつ戦国ポイントがあります。 それが織田信長の砦跡という歴史です。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=3214

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