
大河ドラマでも注目!源頼朝の足跡を辿る

2022年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目度の高かった、源頼朝。 HP「yoritomo-japan.com」は源頼朝が創造した武家の都「鎌倉」とその関係地をめぐった記録。 今回、その「yoritomo-japan.com」にご協力いただき、紹介されているスポットをブックにしました! みなさまの歴史旅・歴史散歩のお供にぜひご覧ください。 ※営業状況等変更になっている可能性があります。お出かけの際は、事前にご確認ください。 yoritomo-japan.com
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紹介スポット
- 404件大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)は武蔵国総社。 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をした源頼朝は、安房から武蔵に入り、大国魂神社に兵を招集して戦勝を祈願し、上矢(うわや:鏑矢)を奉納したという。 1182年(寿永元年)8月11日、源頼朝は妻北条政子の安産祈願を行っている(翌日、源頼家が誕生) ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/futyu/ookun...


大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)は武蔵国総社。 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をした源頼朝は、安房から武蔵に入り、大国魂神社に兵を招集して戦勝を祈願し、上矢(うわや:鏑矢)を奉納したという。 1182年(寿永元年)8月11日、源頼朝は妻北条政子の安産祈願を行っている(翌日、源頼家が誕生) ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/futyu/ookun...

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、1063年(康平6年)に、源頼朝の先祖源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したがその始まり(由比若宮(鶴岡若宮))。 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えた。 1191年(建久2年)、火災によって焼失するが、頼朝は、若宮を再建するとともに、大臣山の中腹に上宮(本宮)を新造し、今日の姿(上下両宮)となる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page041hati...


鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、1063年(康平6年)に、源頼朝の先祖源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したがその始まり(由比若宮(鶴岡若宮))。 1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えた。 1191年(建久2年)、火災によって焼失するが、頼朝は、若宮を再建するとともに、大臣山の中腹に上宮(本宮)を新造し、今日の姿(上下両宮)となる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page041hati...

東大寺は、1180年(治承4年)12月の平重衡による南都焼討によって灰塵と帰してしましました。 頼朝もその再建に尽力し、1195年(建久6年)の上洛時には、大仏殿の落慶供養に参列しています。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


東大寺は、1180年(治承4年)12月の平重衡による南都焼討によって灰塵と帰してしましました。 頼朝もその再建に尽力し、1195年(建久6年)の上洛時には、大仏殿の落慶供養に参列しています。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

浄光明寺 (真言宗泉涌寺派)は、源頼朝が文覚に建てさせた堂がそのはじまりであるとも、頼朝の子といわれる島津忠久が建てた寺がそのはじまりともいわれている。 1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)が開山に真阿を招いて再興し、「浄光明寺」とした。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137jyok...


浄光明寺 (真言宗泉涌寺派)は、源頼朝が文覚に建てさせた堂がそのはじまりであるとも、頼朝の子といわれる島津忠久が建てた寺がそのはじまりともいわれている。 1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)が開山に真阿を招いて再興し、「浄光明寺」とした。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137jyok...

三浦大介義明の五男義秀が自邸を寺とした。 鎌倉二十四地蔵の一つ日金地蔵(木造地蔵菩薩半跏像)は、もとは鎌倉の雪ノ下にあった松源寺の本尊であったが、神仏分離令によって長谷寺に移され、さらに転々とした後、大正時代に東漸寺に安置されたと伝わる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/tozenji.htm...


三浦大介義明の五男義秀が自邸を寺とした。 鎌倉二十四地蔵の一つ日金地蔵(木造地蔵菩薩半跏像)は、もとは鎌倉の雪ノ下にあった松源寺の本尊であったが、神仏分離令によって長谷寺に移され、さらに転々とした後、大正時代に東漸寺に安置されたと伝わる。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/tozenji.htm...

1293円(永仁元年)の創建。 藤沢の遊行寺末。 如意輪観音は、鎌倉地方独特の「土紋装飾」という技法を施した像で、源頼朝の持仏堂(法華堂)にあったものと伝えられている。 「地蔵菩薩像」は、宅間浄宏作と伝えられ、廃寺となった報恩寺の本尊だったもの。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page041raik...


1293円(永仁元年)の創建。 藤沢の遊行寺末。 如意輪観音は、鎌倉地方独特の「土紋装飾」という技法を施した像で、源頼朝の持仏堂(法華堂)にあったものと伝えられている。 「地蔵菩薩像」は、宅間浄宏作と伝えられ、廃寺となった報恩寺の本尊だったもの。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page041raik...

寿福寺(正式には「壽福寺」と書く。)は、1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子の創建。 寿福寺のある亀ヶ谷の地には、頼朝の父義朝の屋敷があったとされ、1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った頼朝は、当初この地に御所を置こうと考えたが、土地が狭く、亡き父の御堂(岡崎義実による造立)もあったことから大倉の地を選んだのだという。 亀ヶ谷は、奥州征伐に向かう八幡太郎義家(源義家)が勝利を祈願し、白旗を掲げたという源氏山が背後にあり、源家父祖伝来の地でもある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137jyuf...


寿福寺(正式には「壽福寺」と書く。)は、1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子の創建。 寿福寺のある亀ヶ谷の地には、頼朝の父義朝の屋敷があったとされ、1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った頼朝は、当初この地に御所を置こうと考えたが、土地が狭く、亡き父の御堂(岡崎義実による造立)もあったことから大倉の地を選んだのだという。 亀ヶ谷は、奥州征伐に向かう八幡太郎義家(源義家)が勝利を祈願し、白旗を掲げたという源氏山が背後にあり、源家父祖伝来の地でもある。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page137jyuf...

大谷寺は、日本最古の石仏とされる千手観音を本尊とする天台宗の寺院。 千手観音は、凝灰岩の岩壁に刻まれたもので、810年(弘仁元年)弘法大師作と伝えられている。 坂東観音三十三箇所の十九番札所。鎌倉時代には、二荒山神社の社務職を兼ねながら下野国宇都宮を治めた宇都宮氏の保護を受けて興隆。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/simotuke-si...


大谷寺は、日本最古の石仏とされる千手観音を本尊とする天台宗の寺院。 千手観音は、凝灰岩の岩壁に刻まれたもので、810年(弘仁元年)弘法大師作と伝えられている。 坂東観音三十三箇所の十九番札所。鎌倉時代には、二荒山神社の社務職を兼ねながら下野国宇都宮を治めた宇都宮氏の保護を受けて興隆。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/simotuke-si...

泉涌寺は、825年(斉衡2年)、左大臣藤原緒嗣が創建した法輪寺を起源とし、仙遊寺と改名された後、1218年(建保6年)に月輪大師(俊じょう)が宇都宮信房から仙遊寺の旧地の寄進を受け、1226年(嘉禄2年)に伽藍の完成をみた。 その間、寺地の一角から清泉が湧き出したことにより泉涌寺と改められている。 月輪大師に寺を寄進した宇都宮信房は、宇都宮氏の祖藤原宗円の次男。 寄進には源頼朝の要請があったといわれる。 真言宗泉涌寺派総本山で、本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


泉涌寺は、825年(斉衡2年)、左大臣藤原緒嗣が創建した法輪寺を起源とし、仙遊寺と改名された後、1218年(建保6年)に月輪大師(俊じょう)が宇都宮信房から仙遊寺の旧地の寄進を受け、1226年(嘉禄2年)に伽藍の完成をみた。 その間、寺地の一角から清泉が湧き出したことにより泉涌寺と改められている。 月輪大師に寺を寄進した宇都宮信房は、宇都宮氏の祖藤原宗円の次男。 寄進には源頼朝の要請があったといわれる。 真言宗泉涌寺派総本山で、本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...

即成院は泉涌寺の塔頭。 創建されたのは伏見で、宇治の平等院を建てた藤原頼通の三男で橘俊綱(たちばなのとしつな)が建てた光明院を始まりとしていると考えられている。 本尊は阿弥陀如来。 山号は光明山。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...


即成院は泉涌寺の塔頭。 創建されたのは伏見で、宇治の平等院を建てた藤原頼通の三男で橘俊綱(たちばなのとしつな)が建てた光明院を始まりとしていると考えられている。 本尊は阿弥陀如来。 山号は光明山。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/nara-kyoto/...
