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仏像の美を語る - メイン画像

仏像の美を語る

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2021/5 作成2021/5/11 最終更新
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2021/5 作成2021/5/11 最終更新

お近くの美しい仏像の情報を交換しましょう。 なぜこの仏様は作られたのか。なぜこんなお顔なのか。なぜこんなに気高く見えるのか。 解釈は自由自在。みんなで楽しみましょう!

紹介スポット

- 140件

聖観音立像 @薬師寺

立ち姿の凛々しさ、均整のとれた体形、端正なお顔、衣服の流れの表現の巧みさ、薬師三尊に勝るとも劣らない、ため息がでる美しい漆黒の仏様。像高は189㎝。白鳳時代

立ち姿の凛々しさ、均整のとれた体形、端正なお顔、衣服の流れの表現の巧みさ、薬師三尊に勝るとも劣らない、ため息がでる美しい漆黒の仏様。像高は189㎝。白鳳時代

僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像 @薬師寺

奈良国立博物館に寄託されている。日本最古の神像。それぞれ30~40㎝程度の小像だが、当時の服装と彩色が残り、またお顔も上品に彫られており、美しい。平安時代前期。

奈良国立博物館に寄託されている。日本最古の神像。それぞれ30~40㎝程度の小像だが、当時の服装と彩色が残り、またお顔も上品に彫られており、美しい。平安時代前期。

薬師如来坐像 @新薬師寺

カヤの一木彫。大きな眼、分厚い胸板、体のボリューム感。光背にある6体の薬師如来の小仏とのバランスも美しい。聖武天皇の目の快癒を願って作られたという。平安前期

カヤの一木彫。大きな眼、分厚い胸板、体のボリューム感。光背にある6体の薬師如来の小仏とのバランスも美しい。聖武天皇の目の快癒を願って作られたという。平安前期

十二神将立像 @新薬師寺

薬師如来をお守りする我が国最大最古の十二神将。像高は152~166㎝と大きくないが、ダイナミックでまさに頼れる将軍。塑像。1体だけが補作で他は奈良時代。

薬師如来をお守りする我が国最大最古の十二神将。像高は152~166㎝と大きくないが、ダイナミックでまさに頼れる将軍。塑像。1体だけが補作で他は奈良時代。

十一面観音立像 @法華寺

カヤの一木造。絶世の美女、光明皇后が蓮池を渡られる姿を写したものとされる。目鼻立ちの整ったお顔、長い右腕、流れるような後ろ姿が特徴的。1m程度。平安初期。

カヤの一木造。絶世の美女、光明皇后が蓮池を渡られる姿を写したものとされる。目鼻立ちの整ったお顔、長い右腕、流れるような後ろ姿が特徴的。1m程度。平安初期。

叡尊坐像 @西大寺

元寇の際に祈祷し、人々を救うことに精進した叡尊の像。善春の作。生前の姿が生き写しされており、やさしさと暖かさ、そして自分への厳しさが見て取れる。鎌倉時代

元寇の際に祈祷し、人々を救うことに精進した叡尊の像。善春の作。生前の姿が生き写しされており、やさしさと暖かさ、そして自分への厳しさが見て取れる。鎌倉時代

薬師如来坐像 @なら仏像館

カヤの一木造、像高薬50cm。面相はかなりインド的で彫りは深くシャープな印象。もともとは京都の若王子社に安置されていたとされる。平安前期。

カヤの一木造、像高薬50cm。面相はかなりインド的で彫りは深くシャープな印象。もともとは京都の若王子社に安置されていたとされる。平安前期。

大日如来坐像 @円成寺

運慶の最初期の傑作。像高1mほどで、上体はやや反り気味で胸を張っている。若々しくエネルギーに満ちており、水晶を用いる玉眼の技法を使っている。平安時代末期

運慶の最初期の傑作。像高1mほどで、上体はやや反り気味で胸を張っている。若々しくエネルギーに満ちており、水晶を用いる玉眼の技法を使っている。平安時代末期

釈迦如来及び両脇侍像 @法隆寺 金堂

厳しくも穏やかなアルカイックスマイルの釈迦三尊。鞍作止利作。聖徳太子の等身大像とも言われる。両脇は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩とされている。飛鳥時代

厳しくも穏やかなアルカイックスマイルの釈迦三尊。鞍作止利作。聖徳太子の等身大像とも言われる。両脇は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩とされている。飛鳥時代

四天王立像 @法隆寺 金堂

現存する最古の四天王。憤怒の表情と様態を見せる後世の四天王とは異なり静かで厳かな佇まい。いずれも可愛い邪鬼の上に直立し、鎧を着ているが文官に見える。飛鳥時代

現存する最古の四天王。憤怒の表情と様態を見せる後世の四天王とは異なり静かで厳かな佇まい。いずれも可愛い邪鬼の上に直立し、鎧を着ているが文官に見える。飛鳥時代

弥勒如来坐像 @興福寺 北円堂

弥勒が悟りを開いた後の如来の姿で表現されている。像高142cmながら安定感があり、落ち着きと包容力の大きさが感じられる。運慶の指示下で源慶らの作。鎌倉時代

弥勒が悟りを開いた後の如来の姿で表現されている。像高142cmながら安定感があり、落ち着きと包容力の大きさが感じられる。運慶の指示下で源慶らの作。鎌倉時代

四天王立像 @興福寺北円堂

大げさな身振りが歌舞伎の決めポーズのようで魅了される。表情に怒りはそれほど見られない。140㎝たらずの立像。木心乾漆像で元は大安寺にあったもの。平安初期。

大げさな身振りが歌舞伎の決めポーズのようで魅了される。表情に怒りはそれほど見られない。140㎝たらずの立像。木心乾漆像で元は大安寺にあったもの。平安初期。

無著・世親菩薩立像 @興福寺 北円堂

法相教を確立した無著と世親の兄弟像。精神性の高さが再現されており、生きているかに思える最高傑作。 運慶の指導下で無著像は運助、世親像は運賀が担当。鎌倉時代。

法相教を確立した無著と世親の兄弟像。精神性の高さが再現されており、生きているかに思える最高傑作。 運慶の指導下で無著像は運助、世親像は運賀が担当。鎌倉時代。

不空羂索観音坐像 @興福寺 南円堂

高さ3.36mの巨像。どっしりとして安定感のある体、切れ長の目に威厳のあるお顔、神々しい光背が見るものの気持ちを晴れやかにさせてくれる。康慶作。平安末期。

高さ3.36mの巨像。どっしりとして安定感のある体、切れ長の目に威厳のあるお顔、神々しい光背が見るものの気持ちを晴れやかにさせてくれる。康慶作。平安末期。

四天王立像 @興福寺南円堂

2m前後の大きな像。甲冑の装飾が美しく、動きは控え目だが力強い。怒りの表情も抑えめ。彩色が残り、本物の戦士のようなリアリティがある。康慶一門の作。鎌倉時代

2m前後の大きな像。甲冑の装飾が美しく、動きは控え目だが力強い。怒りの表情も抑えめ。彩色が残り、本物の戦士のようなリアリティがある。康慶一門の作。鎌倉時代

薬師如来立像 @元興寺

榧の一木造、像高164cm。がっちりしていて衣のひだは深く、細部にも変化が加えられ、流れるような動きが表現されている。平安時代前期現在、奈良国立博物館に寄託

榧の一木造、像高164cm。がっちりしていて衣のひだは深く、細部にも変化が加えられ、流れるような動きが表現されている。平安時代前期現在、奈良国立博物館に寄託

鑑真和上坐像 @唐招提寺

脱活乾漆で像高は80.1cm。穏やかな表情から和上の精神性と人となりが伝わる。日本最古の肖像彫刻。1833年の火災で頭頂部や膝部分が破損し補修された。奈良時代。

脱活乾漆で像高は80.1cm。穏やかな表情から和上の精神性と人となりが伝わる。日本最古の肖像彫刻。1833年の火災で頭頂部や膝部分が破損し補修された。奈良時代。

盧舎那仏坐像 @唐招提寺

光背を入れると5m超の巨像。大づくりの顔に厚めで柔らかい体の線が美しい。脱活乾漆造。背後の光背の分身仏の数は、862体あって神々しさを表す。奈良時代。

光背を入れると5m超の巨像。大づくりの顔に厚めで柔らかい体の線が美しい。脱活乾漆造。背後の光背の分身仏の数は、862体あって神々しさを表す。奈良時代。

千手観音立像  @唐招提寺

実際に千本の手を持つのは本像(953本)と葛井寺(国宝)、寿宝寺(重文)の3体のみ。中でも本像はバランスがよくお顔もすっきりした印象。木心乾漆。奈良時代。

実際に千本の手を持つのは本像(953本)と葛井寺(国宝)、寿宝寺(重文)の3体のみ。中でも本像はバランスがよくお顔もすっきりした印象。木心乾漆。奈良時代。

梵天・帝釈天立像 @唐招提寺

本尊の盧舎那仏坐像の脇侍。木造で180㎝ほど。がっちりとした体格に鎧を着て、そのうえに羽織る裳の袖口の表現が美しい。柔かい表情で優しい印象を受ける。奈良時代。

本尊の盧舎那仏坐像の脇侍。木造で180㎝ほど。がっちりとした体格に鎧を着て、そのうえに羽織る裳の袖口の表現が美しい。柔かい表情で優しい印象を受ける。奈良時代。