紹介スポット
- 50件野々瀬古墳群の中で最大級の古墳で、最も整った横穴式円墳で、直径が約18mある。石室は、長さ9m、高さ2.2m。円墳では愛媛県下最大級。愛媛県文化財に指定。
頓田川の井堰(天皇堰)
頓田川水系には30数か所の井堰が残され、今も地域の農業に貢献している。天皇堰は、朝倉を代表する井堰で、現存する石積みは昭和10年代のものとされている。
頓田川水系には30数か所の井堰が残され、今も地域の農業に貢献している。天皇堰は、朝倉を代表する井堰で、現存する石積みは昭和10年代のものとされている。
石丸忠兵衛 開墾の碑
江戸時代の初め、山越川に堰を作り、水路を引き、開墾し、野々瀬地区を広い水田にした。天皇橋近くの岩盤に、開墾の文字が彫られている。長沢にも開墾し大水田を作った。
江戸時代の初め、山越川に堰を作り、水路を引き、開墾し、野々瀬地区を広い水田にした。天皇橋近くの岩盤に、開墾の文字が彫られている。長沢にも開墾し大水田を作った。
朝倉下部落の氏神で、毎年10月秋の大祭に神社境内で獅子舞の奉納が行われる。斉明天皇が朝倉に行幸の折、この地に行宮があったとされる。朝倉の条里制の基準点の社。
幹回り9m、高さ25mの巨木で、樹齢は推定800年。朝倉地域第一の名木。朝倉小にある肩切り地蔵とともに、源平合戦(1180年頃)の戦士が祀られたとされる。
古墳時代5世紀中期の円墳。出土した青銅鏡、埴輪、陶質土器などから、埋葬者は当時の今治地方で最大級の力を持っていたことが伺える。銅鏡は東京国立博物館で展示。
根上り松古墳(6世紀初期)
古墳上に、県下一の大木と言われた「一本松(根上り松)」があった。昭和55年に松くい虫等の影響により枯れ 、今は根上り松二世を大切に育てている。
古墳上に、県下一の大木と言われた「一本松(根上り松)」があった。昭和55年に松くい虫等の影響により枯れ 、今は根上り松二世を大切に育てている。
江戸時代後期、文化11年(1814)の全国的な大干害に続いて、朝倉地方でも不作続きで餓死者がでるようになった。権六さんは自分の蔵を開き、村人に米を与えた。
国学、詩歌、神道、兵法、武器の制作方法など、多くの学問を追究した。生け花、和裁や手芸、書道なども身に付け、武芸の達人であった。江戸時代末期から明治時代に活躍。