
なかなか中京 区民ライターがゆく!頑張る中京人・魅力再発見

京都市の中心にある中京(なかぎょう)区には、100年以上続く老舗企業があり、京都の文化・まちを支えています。古くから続く文化を継承しながら、新しい文化を取り入れて、常に進化を遂げています。また、老舗企業だけではなく、京都の文化を取り入れて、お店を営業されている方も多く、様々な事業者が自治会、町内会をはじめ地域と一体となり、京都・中京を盛り上げています。 そんな魅力あふれる中京区の事業者や団体、人を区民ライターが取材し、その取材内容を記事にした、中京区応援サイト「なかなか中京」を中京区役所ホームページ内に開設しています。 記事とスポットが掲載されたアプリを片手に、中京区の魅力を再発見していただければ幸いです。 ※めっけブックに掲載している記事は中京区ホームページで掲載しているものの一部です。すべての記事は以下のURLからご覧いただけます。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/...
関連するめっけブック
関連するめっけブック
紹介スポット
- 69件中京区の町家に、学校に行きづらいと感じる子どもたちとその子どもを支える大人が安心して過ごせる場、「いばしょかふぇ」があります。今回は、その「いばしょかふぇ」の代表を務められる、宅間(たくま)さんにお話を伺いました。 宅間さんは、コロナ禍の令和2(2020)年に「いばしょかふぇ」を立ち上げられました。「いつ来ても大丈夫。いつ帰っても大丈夫。予約しなくても大丈夫。本を読んだり、ゲームをしたり、自分のペースで大丈夫。何もしなくても大丈夫。」と、いっぱいの大丈夫によって来られる方の安心を生む居場所となっています。 立ち上げのきっかけは、学校に行きづらいと子どもが感じても、学校以外の居場所や選択肢がないことでした。学校に行かないことで、他者とのコミュニケーションが減り、社会に出にくい状況になっていきますが、「いばしょかふぇ」のような、安心して何でも相談できる第3の居場所(サードプレイス)があることで、そこに来られた方とコミュニケーションを取ることができます。最近では、子どもだけでなく大人も参加されているそうで、「生きづらさを抱えながらも社会に出ている大人の話を聞いて、その共感から子どもたちの背中を押すという、良い多世代交流が生まれています」と話され、年齢に関係なく誰でも集え、相談できる場となっています・・・ 気になる記事の続き及びポレポレ 宅間 和美(たくま かずみ)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年7月31日時点の内容です。


中京区の町家に、学校に行きづらいと感じる子どもたちとその子どもを支える大人が安心して過ごせる場、「いばしょかふぇ」があります。今回は、その「いばしょかふぇ」の代表を務められる、宅間(たくま)さんにお話を伺いました。 宅間さんは、コロナ禍の令和2(2020)年に「いばしょかふぇ」を立ち上げられました。「いつ来ても大丈夫。いつ帰っても大丈夫。予約しなくても大丈夫。本を読んだり、ゲームをしたり、自分のペースで大丈夫。何もしなくても大丈夫。」と、いっぱいの大丈夫によって来られる方の安心を生む居場所となっています。 立ち上げのきっかけは、学校に行きづらいと子どもが感じても、学校以外の居場所や選択肢がないことでした。学校に行かないことで、他者とのコミュニケーションが減り、社会に出にくい状況になっていきますが、「いばしょかふぇ」のような、安心して何でも相談できる第3の居場所(サードプレイス)があることで、そこに来られた方とコミュニケーションを取ることができます。最近では、子どもだけでなく大人も参加されているそうで、「生きづらさを抱えながらも社会に出ている大人の話を聞いて、その共感から子どもたちの背中を押すという、良い多世代交流が生まれています」と話され、年齢に関係なく誰でも集え、相談できる場となっています・・・ 気になる記事の続き及びポレポレ 宅間 和美(たくま かずみ)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年7月31日時点の内容です。

「カンブライト」は、社名の「カン」のとおり、「缶詰」の製造・販売からスタートした中京区に本社を構えるフードテック(※)ベンチャー企業です。社名の由来は「Can(缶・Can(~できる)」×「Bright(明るい)」=「カンブライト」で、「日本の食と食文化の未来が明るくなるように」という思いが込められています。今回は、缶詰が食文化の未来に与える影響や可能性について、京都本社におられるクリエイティブ事業部長の猪上(いのうえ)さんにお話を伺いました。 ※IT分野を活用して、食の持つ可能性を広げること カンブライト代表の井上 和馬さんは企業向けのシステム開発を中心に、ITの専門家として15年活躍されていました。長期の海外出張の中で、日本の食生活や衛生面に素晴らしさを改めて感じていた時、偶然目に入った「日本の地域資源を活かした社会起業家を募集」というテレビ番組の特集を見たことが、創業のきっかけとなりました。 井上さんは、運命に導かれるように応募を決意し、「日本の豊かな食を子どもたちに残したい」という思いから、世界市場に流通できるように常温で長期保存ができる「缶詰」に注目し、「カンブライト」を立ち上げられました・・・ 気になる記事の続き及びカンブライト 猪上 実可(いのうえ みか)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年7月14日時点の内容です。


「カンブライト」は、社名の「カン」のとおり、「缶詰」の製造・販売からスタートした中京区に本社を構えるフードテック(※)ベンチャー企業です。社名の由来は「Can(缶・Can(~できる)」×「Bright(明るい)」=「カンブライト」で、「日本の食と食文化の未来が明るくなるように」という思いが込められています。今回は、缶詰が食文化の未来に与える影響や可能性について、京都本社におられるクリエイティブ事業部長の猪上(いのうえ)さんにお話を伺いました。 ※IT分野を活用して、食の持つ可能性を広げること カンブライト代表の井上 和馬さんは企業向けのシステム開発を中心に、ITの専門家として15年活躍されていました。長期の海外出張の中で、日本の食生活や衛生面に素晴らしさを改めて感じていた時、偶然目に入った「日本の地域資源を活かした社会起業家を募集」というテレビ番組の特集を見たことが、創業のきっかけとなりました。 井上さんは、運命に導かれるように応募を決意し、「日本の豊かな食を子どもたちに残したい」という思いから、世界市場に流通できるように常温で長期保存ができる「缶詰」に注目し、「カンブライト」を立ち上げられました・・・ 気になる記事の続き及びカンブライト 猪上 実可(いのうえ みか)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年7月14日時点の内容です。

三条寺町に、2つの店舗を構える「マザーハウス」。お店を覗くと、お洒落なカバンやお財布が並べられています。商品自体がもつデザイン性や素材の良さといった価値はもちろん、完成に至るまで、マザーハウスの商品には様々なストーリーがあるのをご存知でしょうか。マザーハウスでは、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、バングラデシュやスリランカといった、途上国の素材と技術を活かした商品開発が行われています。文化や価値観の違いを乗り越えて事業展開をされているマザーハウスの思いに迫るべく、京都エリアを担当しておられる月原さんにお話を伺いました。 途上国に目を向けられたきっかけは、代表の山口さんが大学卒業後、アメリカの国際機関で働く中で、途上国の教育水準やお金の使い方・流れを知りたいと思われたことでした。そこで2003年頃、アジア最貧国と言われていたバングラデシュに実際に赴き、現地での生活を始めます。 その中で、「お金持ちなんだから助けてくれるだろう」という現地の人々の一方的な期待を感じ、「私たちだけでなく、現地の人と一緒に何か改善できないのか、そしてそれを持続できるような方法はないのか」と考えられ、それがマザーハウスの創業のきっかけとなり、会社の理念に繋がっています・・・ 気になる記事の続き及びマザーハウス 月原 光基(つきはら こうき)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年6月15日時点の内容です。


三条寺町に、2つの店舗を構える「マザーハウス」。お店を覗くと、お洒落なカバンやお財布が並べられています。商品自体がもつデザイン性や素材の良さといった価値はもちろん、完成に至るまで、マザーハウスの商品には様々なストーリーがあるのをご存知でしょうか。マザーハウスでは、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、バングラデシュやスリランカといった、途上国の素材と技術を活かした商品開発が行われています。文化や価値観の違いを乗り越えて事業展開をされているマザーハウスの思いに迫るべく、京都エリアを担当しておられる月原さんにお話を伺いました。 途上国に目を向けられたきっかけは、代表の山口さんが大学卒業後、アメリカの国際機関で働く中で、途上国の教育水準やお金の使い方・流れを知りたいと思われたことでした。そこで2003年頃、アジア最貧国と言われていたバングラデシュに実際に赴き、現地での生活を始めます。 その中で、「お金持ちなんだから助けてくれるだろう」という現地の人々の一方的な期待を感じ、「私たちだけでなく、現地の人と一緒に何か改善できないのか、そしてそれを持続できるような方法はないのか」と考えられ、それがマザーハウスの創業のきっかけとなり、会社の理念に繋がっています・・・ 気になる記事の続き及びマザーハウス 月原 光基(つきはら こうき)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年6月15日時点の内容です。

麩屋町通を上がり、押小路通を左に曲がると、「錺(かざり)」の大きな文字が現れます。落ち着いた佇まいが印象的な京町家、ここが京都で200年続く金属工芸の工房「竹影堂(ちくえいどう)」です。 竹影堂では、金・銀・銅をはじめとする金属をもって飾るものを作る仕事「錺」を手がけています。今回お話を伺った7代目 中村 佳永さんは、15歳から工房で働き始め、金属産業の機械化が進んだ現代においても、手作業にあえてこだわり、茶道具の制作や高い芸術性を生かした作品展を開催するなど、伝統の金工技術を受け継ぎ活動されています。 竹影堂の作品は手作業だからこその温かみある表情が特徴です。「手作業のため大量に生産することが難しいというと一見デメリットに思えますが、商品の細かい調整など、お客さんのオーダーにも柔軟に対応できることは、一点一点手作りだからこその大きなメリットだと考えています」と手作業への強いこだわりを語られます・・・ 気になる記事の続き及び竹影堂 中村 佳永(なかむら よしなが)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年5月29日時点の内容です。


麩屋町通を上がり、押小路通を左に曲がると、「錺(かざり)」の大きな文字が現れます。落ち着いた佇まいが印象的な京町家、ここが京都で200年続く金属工芸の工房「竹影堂(ちくえいどう)」です。 竹影堂では、金・銀・銅をはじめとする金属をもって飾るものを作る仕事「錺」を手がけています。今回お話を伺った7代目 中村 佳永さんは、15歳から工房で働き始め、金属産業の機械化が進んだ現代においても、手作業にあえてこだわり、茶道具の制作や高い芸術性を生かした作品展を開催するなど、伝統の金工技術を受け継ぎ活動されています。 竹影堂の作品は手作業だからこその温かみある表情が特徴です。「手作業のため大量に生産することが難しいというと一見デメリットに思えますが、商品の細かい調整など、お客さんのオーダーにも柔軟に対応できることは、一点一点手作りだからこその大きなメリットだと考えています」と手作業への強いこだわりを語られます・・・ 気になる記事の続き及び竹影堂 中村 佳永(なかむら よしなが)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年5月29日時点の内容です。

壬生檜(みぶひのき)公園に面した小さな通り沿いに位置する京町家。今回は、ここ「つくるまなぶ京都町家科学館」をご紹介します。 つくるまなぶ京都町家科学館は、小学生や未就学児向けに、科学や数学などの視点を取り入れた「ものづくり講座」を提供されています。アントレプレナーシップ教育を掲げ、子どもたちに、枠にはまった答えを探すのではなく、自分自身で問いを立てて考え、行動し、新しいことに挑戦できる人になってほしいという思いから、館長の宿野さんが全国の科学館等の展示装置を手がけてこられたノウハウを生かし2020年3月に開館されました。 ものづくりナビゲーターを務める倉橋さんからは、「これまで光や音など、様々なテーマを扱ってきましたが、どのイベントでも、子どもたちに実際に自分の手で触れ、自ら何かに気づいてもらうというスタイルは一貫しています」と講座を企画する上で大切にされているポイントをお話しいただきました。科学館ではこうした多彩な講座に加え、「実際に手で触れて学びや発見を得てもらいたい」と数々の実験機材が並んだ京町家の内部も一般公開されています・・・ 気になる記事の続き及びつくるまなぶ京都町家科学館 館長 宿野 秀晴 様、ものづくりナビゲーター 倉橋 克彦 様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年5月15日時点の内容です。


壬生檜(みぶひのき)公園に面した小さな通り沿いに位置する京町家。今回は、ここ「つくるまなぶ京都町家科学館」をご紹介します。 つくるまなぶ京都町家科学館は、小学生や未就学児向けに、科学や数学などの視点を取り入れた「ものづくり講座」を提供されています。アントレプレナーシップ教育を掲げ、子どもたちに、枠にはまった答えを探すのではなく、自分自身で問いを立てて考え、行動し、新しいことに挑戦できる人になってほしいという思いから、館長の宿野さんが全国の科学館等の展示装置を手がけてこられたノウハウを生かし2020年3月に開館されました。 ものづくりナビゲーターを務める倉橋さんからは、「これまで光や音など、様々なテーマを扱ってきましたが、どのイベントでも、子どもたちに実際に自分の手で触れ、自ら何かに気づいてもらうというスタイルは一貫しています」と講座を企画する上で大切にされているポイントをお話しいただきました。科学館ではこうした多彩な講座に加え、「実際に手で触れて学びや発見を得てもらいたい」と数々の実験機材が並んだ京町家の内部も一般公開されています・・・ 気になる記事の続き及びつくるまなぶ京都町家科学館 館長 宿野 秀晴 様、ものづくりナビゲーター 倉橋 克彦 様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年5月15日時点の内容です。

「世界一の黒」と誇れる技術をもつ京都紋付。伝統的な「黒紋付」という着物を染め続けて100年、染めの技術は時代の流れとともに変化し、アパレル業界への参入など、新たな需要を生み出しています。今回はその新たな需要に対応しながらも、伝統を守り続ける株式会社 京都紋付の荒川社長にお話を伺いました。 「紋付の売上は、最盛期には約十数億円ありましたが、今では数百万円ほど」と、紋付の需要が減り、会社存続の危機を感じていた荒川社長。何としても京都が誇る染めの技術を守りたいという思いから、紋付だけではなく、幅広い衣服を製造・流通させているアパレル業界へ参入することを決意し、2つの改革を起こします。 1つ目は、紋付で培った加工技術の改良でした。紋付のために開発した独自の加工技術「深黒(しんくろ)加工」を、色落ち、汚れ、洗濯に強く、撥水機能をつけてアパレル製品用に改良しました。黒染めすることで、汚れやシミで着られなくなった衣服も再び着られるようになり、「環境保全」につながる取組として注目されるようになっていきました。その後、有名なブランドや百貨店等のコラボレーションにより、この「アップサイクル(廃棄予定であったものに手を加え、価値をつけて新しい製品へと生まれ変わらせる手法)」な取組が注目を集めるようになり、「黒に染めれば、衣服は生まれ変われる」という京都紋付ならではの概念が、世の中に広まっていきました。オンラインで黒染めを依頼することができるため、「お気に入りの一着をずっと大切に着てほしい」と話されました。また古着の染め替えだけではなく、新品の黒染め依頼も国内はもとより海外の意有名ブランドから受注するようになりました・・・ 気になる記事の続き及び京都紋付 代表取締役社長 荒川 徹 様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年4月28日時点の内容です。


「世界一の黒」と誇れる技術をもつ京都紋付。伝統的な「黒紋付」という着物を染め続けて100年、染めの技術は時代の流れとともに変化し、アパレル業界への参入など、新たな需要を生み出しています。今回はその新たな需要に対応しながらも、伝統を守り続ける株式会社 京都紋付の荒川社長にお話を伺いました。 「紋付の売上は、最盛期には約十数億円ありましたが、今では数百万円ほど」と、紋付の需要が減り、会社存続の危機を感じていた荒川社長。何としても京都が誇る染めの技術を守りたいという思いから、紋付だけではなく、幅広い衣服を製造・流通させているアパレル業界へ参入することを決意し、2つの改革を起こします。 1つ目は、紋付で培った加工技術の改良でした。紋付のために開発した独自の加工技術「深黒(しんくろ)加工」を、色落ち、汚れ、洗濯に強く、撥水機能をつけてアパレル製品用に改良しました。黒染めすることで、汚れやシミで着られなくなった衣服も再び着られるようになり、「環境保全」につながる取組として注目されるようになっていきました。その後、有名なブランドや百貨店等のコラボレーションにより、この「アップサイクル(廃棄予定であったものに手を加え、価値をつけて新しい製品へと生まれ変わらせる手法)」な取組が注目を集めるようになり、「黒に染めれば、衣服は生まれ変われる」という京都紋付ならではの概念が、世の中に広まっていきました。オンラインで黒染めを依頼することができるため、「お気に入りの一着をずっと大切に着てほしい」と話されました。また古着の染め替えだけではなく、新品の黒染め依頼も国内はもとより海外の意有名ブランドから受注するようになりました・・・ 気になる記事の続き及び京都紋付 代表取締役社長 荒川 徹 様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年4月28日時点の内容です。

六角油小路にある佛現寺(ぶつげんじ)は、14代続く浄土真宗西本願寺派の歴史あるお寺です。佛現寺はもともと、1600年頃に十条油小路で開基されたといわれており、1868年の「鳥羽伏見の戦い」の戦禍に巻き込まれ、六角油小路に移り再建されたといわれています(諸説あり)。再建以来、地域の人に親しまれています。 コロナ禍では、地域の方々をはじめとした、誰もが気軽にお寺に集える機会をつくろうと、子どもの遊び場やマルシェの開催など、様々な新しい取組を行いました。「コロナの影響によって、佛現寺に来てくださる方がほとんどおらず、しんとした本堂の姿を目にしつづけ、改めてお寺のあるべき姿を見つめ直しました」と副住職の油小路 和貴さん。油小路さんは、大学院で仏教学を学び、学ぶほどに面白さを感じた仏教に夢中になっていた時期が、コロナ禍と重なり、もっと仏教界を盛り上げたいと強く願うようになりました・・・ 気になる記事の続き及び佛現寺 副住職 油小路 和貴様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年4月14日時点の内容です。


六角油小路にある佛現寺(ぶつげんじ)は、14代続く浄土真宗西本願寺派の歴史あるお寺です。佛現寺はもともと、1600年頃に十条油小路で開基されたといわれており、1868年の「鳥羽伏見の戦い」の戦禍に巻き込まれ、六角油小路に移り再建されたといわれています(諸説あり)。再建以来、地域の人に親しまれています。 コロナ禍では、地域の方々をはじめとした、誰もが気軽にお寺に集える機会をつくろうと、子どもの遊び場やマルシェの開催など、様々な新しい取組を行いました。「コロナの影響によって、佛現寺に来てくださる方がほとんどおらず、しんとした本堂の姿を目にしつづけ、改めてお寺のあるべき姿を見つめ直しました」と副住職の油小路 和貴さん。油小路さんは、大学院で仏教学を学び、学ぶほどに面白さを感じた仏教に夢中になっていた時期が、コロナ禍と重なり、もっと仏教界を盛り上げたいと強く願うようになりました・・・ 気になる記事の続き及び佛現寺 副住職 油小路 和貴様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年4月14日時点の内容です。

味噌の醸造元「御幸町 関東屋」は、御幸町通の夷川通を少し上がったところにあります。1847年(江戸時代末期)の創業以来、175年にわたり、味噌づくりに携わられています。 日本の味噌づくりは、飛鳥時代に中国から味噌づくりの原型が伝わり、奈良時代にかけて日本で始まったといわれています。味噌は、米や豆、麦からつくる麹と大豆、塩を用いてつくられますが、当時は貴重品で上流階級の食材として扱われました。今では一般的に使用される調味料ですが、一般に出回るようになったのは農業が発達し、穀類が主食になってからであり、また室町・鎌倉時代以降、武家社会でお味噌汁を食する文化が生まれ、味噌が保存できる調味料として一般に流布するようになりました。 気になる記事の続き及び御幸町 関東屋 代表 西田 有一郎様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年3月27日時点の内容です。


味噌の醸造元「御幸町 関東屋」は、御幸町通の夷川通を少し上がったところにあります。1847年(江戸時代末期)の創業以来、175年にわたり、味噌づくりに携わられています。 日本の味噌づくりは、飛鳥時代に中国から味噌づくりの原型が伝わり、奈良時代にかけて日本で始まったといわれています。味噌は、米や豆、麦からつくる麹と大豆、塩を用いてつくられますが、当時は貴重品で上流階級の食材として扱われました。今では一般的に使用される調味料ですが、一般に出回るようになったのは農業が発達し、穀類が主食になってからであり、また室町・鎌倉時代以降、武家社会でお味噌汁を食する文化が生まれ、味噌が保存できる調味料として一般に流布するようになりました。 気になる記事の続き及び御幸町 関東屋 代表 西田 有一郎様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年3月27日時点の内容です。

新京極商店街の中にある「錦天満宮」は、「知恵・学問・厄除け・招福の神様」として知られ、学業の神様「天神さん」こと菅原道真公を祀る、1000年を超える由緒のある神社です。京都の街中にある「天神さん」として古くから街を盛り上げています。 四条通から新京極商店街の中に入り、少し歩くと、多くの提灯が目に飛び込んできます。そこが錦天満宮の入口です。てかてかと輝く「撫で牛(なでうし)」と言われる「神牛さん」に出迎えられ、本殿へと向かい、「天神さん」にお参りをすることができます。菅原道真公が生まれたのも、大宰府に左遷された日も、亡くなった日も25日であったこと(諸説あり)に由来し、全国の天満宮では毎月25日に「天神さんの日」として様々な催しが各地で開催されています。 気になる記事の続き及び錦天満宮 禰宜 新田 雅美様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年3月17日時点の内容です。


新京極商店街の中にある「錦天満宮」は、「知恵・学問・厄除け・招福の神様」として知られ、学業の神様「天神さん」こと菅原道真公を祀る、1000年を超える由緒のある神社です。京都の街中にある「天神さん」として古くから街を盛り上げています。 四条通から新京極商店街の中に入り、少し歩くと、多くの提灯が目に飛び込んできます。そこが錦天満宮の入口です。てかてかと輝く「撫で牛(なでうし)」と言われる「神牛さん」に出迎えられ、本殿へと向かい、「天神さん」にお参りをすることができます。菅原道真公が生まれたのも、大宰府に左遷された日も、亡くなった日も25日であったこと(諸説あり)に由来し、全国の天満宮では毎月25日に「天神さんの日」として様々な催しが各地で開催されています。 気になる記事の続き及び錦天満宮 禰宜 新田 雅美様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年3月17日時点の内容です。

油小路通の二条通を少し上がったところに、呉服屋「みむろ」はあります。 縁あって京都の呉服店で働いていた代表取締役の福岡義孝さんは、働く中で着物の知識が増えていくにつれて、着物の魅力を知り、愛着を持つようになったことがきっかけとなり、昭和47年に京都で創業されました。 その後、呉服屋で培った豊富な着物の知識を活かし、京都以外の沖縄や越後、久留米などの上質な帯や着物も取り入れられ、「良い着物をより安く」を理念に、購入しやすい価格で様々な着物や帯等を販売しておられます。 昨年11月に新しく構えられた店舗に伺ってみると、素敵な廊下に並ぶ多数の着物がお出迎えしてくれました。 気になる記事の続き及びみむろ 常務取締役 福岡 賢祐様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年2月17日時点の内容です。


油小路通の二条通を少し上がったところに、呉服屋「みむろ」はあります。 縁あって京都の呉服店で働いていた代表取締役の福岡義孝さんは、働く中で着物の知識が増えていくにつれて、着物の魅力を知り、愛着を持つようになったことがきっかけとなり、昭和47年に京都で創業されました。 その後、呉服屋で培った豊富な着物の知識を活かし、京都以外の沖縄や越後、久留米などの上質な帯や着物も取り入れられ、「良い着物をより安く」を理念に、購入しやすい価格で様々な着物や帯等を販売しておられます。 昨年11月に新しく構えられた店舗に伺ってみると、素敵な廊下に並ぶ多数の着物がお出迎えしてくれました。 気になる記事の続き及びみむろ 常務取締役 福岡 賢祐様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年2月17日時点の内容です。
