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- 1088件志平川土砂災害伝承之碑(平成18年7月豪雨)
長野県岡谷市/平成18年7月豪雨(2006年7月19日)/2010年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成18年(2006)7月15日からの記録的な豪雨は、諏訪地域に甚大な被害をもたらした。岡谷市においては19日早朝、志平川の最上流部で発生した土石流が、周辺の樹木を巻き込みながら河床や渓岸を侵食し、さらに下流部の住宅密集地を直撃、末端は天竜川まで達した。この土石流は死者1名損壊家屋14棟の大きな爪痕を残した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県岡谷市/平成18年7月豪雨(2006年7月19日)/2010年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成18年(2006)7月15日からの記録的な豪雨は、諏訪地域に甚大な被害をもたらした。岡谷市においては19日早朝、志平川の最上流部で発生した土石流が、周辺の樹木を巻き込みながら河床や渓岸を侵食し、さらに下流部の住宅密集地を直撃、末端は天竜川まで達した。この土石流は死者1名損壊家屋14棟の大きな爪痕を残した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害伝承之碑(平成18年7月豪雨)
長野県岡谷市/平成18年7月豪雨(2006年7月19日)/2011年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成18年(2006)7月15日からの記録的な豪雨は、諏訪地域に甚大な被害をもたらした。岡谷市においては19日早朝、小田井沢、八重場沢、ウノキ沢上流で発生した土石流が周辺の樹木を巻き込みながら河床や渓岸を侵食し、さらに下流の住宅密集地を直撃、末端は諏訪湖まで達した。この土石流は死者7名、損壊家屋多数の大きな爪痕を残した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県岡谷市/平成18年7月豪雨(2006年7月19日)/2011年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成18年(2006)7月15日からの記録的な豪雨は、諏訪地域に甚大な被害をもたらした。岡谷市においては19日早朝、小田井沢、八重場沢、ウノキ沢上流で発生した土石流が周辺の樹木を巻き込みながら河床や渓岸を侵食し、さらに下流の住宅密集地を直撃、末端は諏訪湖まで達した。この土石流は死者7名、損壊家屋多数の大きな爪痕を残した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月25日から27日までに梅雨前線による降雨量が566mmとなり、河川の氾濫、山崩れが頻発し、道路の寸断、堤防の決壊等により、飯田市座光寺地区では、家屋の全壊・流失12戸、半壊浸水42戸、田畑の流失・埋没約100ヘクタールの被害が発生し、数日間全くの孤立状態となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月25日から27日までに梅雨前線による降雨量が566mmとなり、河川の氾濫、山崩れが頻発し、道路の寸断、堤防の決壊等により、飯田市座光寺地区では、家屋の全壊・流失12戸、半壊浸水42戸、田畑の流失・埋没約100ヘクタールの被害が発生し、数日間全くの孤立状態となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月25日から降り出した雨は、当地に大量の雨を降らせ同月27日には雨量500mmに達し、河川の氾濫、橋梁の流失、田畑や家屋の埋没・流失などが発生。死者3名、田畑山林の流失埋没50ヘクタール、道路の決壊24ヶ所、橋の流失36ヶ所、全半壊家屋48戸、床上床下浸水230戸の惨事となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月25日から降り出した雨は、当地に大量の雨を降らせ同月27日には雨量500mmに達し、河川の氾濫、橋梁の流失、田畑や家屋の埋没・流失などが発生。死者3名、田畑山林の流失埋没50ヘクタール、道路の決壊24ヶ所、橋の流失36ヶ所、全半壊家屋48戸、床上床下浸水230戸の惨事となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月26日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月26日、梅雨前線の停滞による集中豪雨で、王竜寺川・滝ノ沢川等の6河川が氾濫し、丸山地区のほぼ全域が崩壊土砂の流出氾濫に見舞われ、死者3名、家屋の全壊14戸、半壊20戸等の被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月26日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月26日、梅雨前線の停滞による集中豪雨で、王竜寺川・滝ノ沢川等の6河川が氾濫し、丸山地区のほぼ全域が崩壊土砂の流出氾濫に見舞われ、死者3名、家屋の全壊14戸、半壊20戸等の被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月26日)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月26日の集中豪雨で野底川が氾濫し、大門町では、田畑山林は言うまでもなく、全町流失の寸前となり、死者7名、流失建物5戸の被害が発生した。正徳5年(1715)6月18日(旧暦)の「未(ひつじ)の満水」の大洪水以来の大洪水であり、災害は忘れた頃に来るとの名言が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月26日)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月26日の集中豪雨で野底川が氾濫し、大門町では、田畑山林は言うまでもなく、全町流失の寸前となり、死者7名、流失建物5戸の被害が発生した。正徳5年(1715)6月18日(旧暦)の「未(ひつじ)の満水」の大洪水以来の大洪水であり、災害は忘れた頃に来るとの名言が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三六災最高水位標(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月28日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、台風接近による梅雨前線の活発化で集中豪雨となり、飯田市では特に6月27日には1日で325mmの降水量を観測した。この大雨の影響で天竜川が氾濫、市内の至る所で崖崩れや土石流が発生し、死者・行方不明者は16名となった。碑には、28日未明に発生した浸水で罹災225戸、被害面積136ヘクタールの被害及び当地での最高水位線が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月28日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、台風接近による梅雨前線の活発化で集中豪雨となり、飯田市では特に6月27日には1日で325mmの降水量を観測した。この大雨の影響で天竜川が氾濫、市内の至る所で崖崩れや土石流が発生し、死者・行方不明者は16名となった。碑には、28日未明に発生した浸水で罹災225戸、被害面積136ヘクタールの被害及び当地での最高水位線が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
天龍川氾濫最高水位之碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1980年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、台風接近による梅雨前線の活発化で集中豪雨となり、飯田市では特に6月27日には1日で325mmの降水量を観測した。この大雨の影響で天竜川が氾濫、市内の至る所で崖崩れや土石流が発生し、死者・行方不明者は16名となった。碑には、当地での浸水位線が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1980年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、台風接近による梅雨前線の活発化で集中豪雨となり、飯田市では特に6月27日には1日で325mmの降水量を観測した。この大雨の影響で天竜川が氾濫、市内の至る所で崖崩れや土石流が発生し、死者・行方不明者は16名となった。碑には、当地での浸水位線が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三六災復旧記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)ほか/1969年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
天竜川は日本三大急流の一つとされ、昭和10年(1935)のダム建設以降、堆積土の影響で、水害が頻発していた。なかでも昭和27年(1952)には龍江地区で耕地27ヘクタールが流失、昭和36年(1961)の大洪水では流失耕地50ヘクタール、家屋浸水30戸余りの被害があったことなど、碑には昭和15年(1940)以降繰り返された洪水と復旧へ努力が記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)ほか/1969年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
天竜川は日本三大急流の一つとされ、昭和10年(1935)のダム建設以降、堆積土の影響で、水害が頻発していた。なかでも昭和27年(1952)には龍江地区で耕地27ヘクタールが流失、昭和36年(1961)の大洪水では流失耕地50ヘクタール、家屋浸水30戸余りの被害があったことなど、碑には昭和15年(1940)以降繰り返された洪水と復旧へ努力が記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害復興記念(洪水)
長野県飯田市/洪水(1965年9月17日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和40年(1965)9月17日の台風24号による大雨で遠山川が決壊し、旧南信濃村では、公共施設、農地、農道、水路、橋等が流失、家屋の全壊・流失53戸、半壊・床上・床下浸水90戸余りなどの被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県飯田市/洪水(1965年9月17日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和40年(1965)9月17日の台風24号による大雨で遠山川が決壊し、旧南信濃村では、公共施設、農地、農道、水路、橋等が流失、家屋の全壊・流失53戸、半壊・床上・床下浸水90戸余りなどの被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県駒ヶ根市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27~28日)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、伊那谷地方は梅雨前線の影響で1時間40mm以上の集中豪雨となり新宮川、百々目木川を中心に甚大な被害を受けた。駒ケ根市では死者5名、流失損壊家屋119戸、道路崩壊、橋梁損壊、堤防流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県駒ヶ根市/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27~28日)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、伊那谷地方は梅雨前線の影響で1時間40mm以上の集中豪雨となり新宮川、百々目木川を中心に甚大な被害を受けた。駒ケ根市では死者5名、流失損壊家屋119戸、道路崩壊、橋梁損壊、堤防流失等の被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月27日、梅雨前線は台風6号の影響も加わり豪雨となり、飯田測候所で翌朝6時までに325mmの降雨量を記録した。大小河川の氾濫、山崩れにより、中川村では、死者18名、家屋の全壊・流失97戸、半壊53戸等の被害が発生し、四徳部落の全戸移住をはじめ156世帯が村外移住を余儀なくされた。当碑の横には三六災害五十年記念碑が建立されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月27日、梅雨前線は台風6号の影響も加わり豪雨となり、飯田測候所で翌朝6時までに325mmの降雨量を記録した。大小河川の氾濫、山崩れにより、中川村では、死者18名、家屋の全壊・流失97戸、半壊53戸等の被害が発生し、四徳部落の全戸移住をはじめ156世帯が村外移住を余儀なくされた。当碑の横には三六災害五十年記念碑が建立されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りの大雨を降らせた。この為、27日夕方に三沢上流で土砂崩れが相次ぎ、28日未明には天竜川護岸も決壊した。正徳5年(1715)の「未(ひつじ)の満水」以来の豪雨災害であったが、小和田地区では犠牲者は出なかった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りの大雨を降らせた。この為、27日夕方に三沢上流で土砂崩れが相次ぎ、28日未明には天竜川護岸も決壊した。正徳5年(1715)の「未(ひつじ)の満水」以来の豪雨災害であったが、小和田地区では犠牲者は出なかった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害移住記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。この災害で四徳地区の住民は集団移住を余儀なくされた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。この災害で四徳地区の住民は集団移住を余儀なくされた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
心のふるさと四徳学校跡(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1974年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。地区住民は集団移住し、当碑は廃校となった四徳学校跡地に建立されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1974年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。地区住民は集団移住し、当碑は廃校となった四徳学校跡地に建立されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
ふるさと平鈴(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1996年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。この碑には、豪雨により一瞬にして部落は壊滅し再起不能となり全戸移住を余儀なくされたことが刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県上伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月27日)/1996年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線は伊那谷におびただしい雨を降らせ、数日間で520mm余りに達した。この影響で四徳地区では6月27日に土石流が発生し、84戸のうち61戸が被災、7名が犠牲となった。この碑には、豪雨により一瞬にして部落は壊滅し再起不能となり全戸移住を余儀なくされたことが刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬の梅雨前線による豪雨は500mmを超え、山腹崩壊や渓流河川の氾濫、天竜川の堤防も決壊し、高森町では、死者11名、流失・全半壊家屋108戸、田畑山林の流失約250ヘクタール等の被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1964年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬の梅雨前線による豪雨は500mmを超え、山腹崩壊や渓流河川の氾濫、天竜川の堤防も決壊し、高森町では、死者11名、流失・全半壊家屋108戸、田畑山林の流失約250ヘクタール等の被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
復興記念碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬の梅雨前線による豪雨で、各河川が大氾濫を起こし、天竜川惣兵衛堤防の決壊や山腹崩落が発生した。高森町下市田区では、萩山神社本殿の倒壊をはじめ、多数の家屋の流失・全半壊・埋没のほか、耕地、中小河川、道路、建物等で激甚な被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1965年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬の梅雨前線による豪雨で、各河川が大氾濫を起こし、天竜川惣兵衛堤防の決壊や山腹崩落が発生した。高森町下市田区では、萩山神社本殿の倒壊をはじめ、多数の家屋の流失・全半壊・埋没のほか、耕地、中小河川、道路、建物等で激甚な被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
慰霊碑(昭和36年梅雨前線豪雨)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1971年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線豪雨が伊那谷を襲った。この影響で土石流が発生、田沢川の追分橋より下流の水田を守るために、水防作業をしていた12名が土石流に飲み込まれ、11名が犠牲になった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県下伊那郡/昭和36年梅雨前線豪雨(三六災害)(1961年6月下旬)/1971年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和36年(1961)6月下旬、梅雨前線豪雨が伊那谷を襲った。この影響で土石流が発生、田沢川の追分橋より下流の水田を守るために、水防作業をしていた12名が土石流に飲み込まれ、11名が犠牲になった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
前亡後死三界万霊塔(未)
長野県下伊那郡/未(ひつじ)の満水(1715年7月18日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
正徳5年6月17日(1715年7月17日)から降り始めた雨は、18日夜明けから膝を並べて話す声が聞こえないほどの大雨となった。高森町では大島川から流れ出た土石流が天竜川をせき止め、濁流は4km上流の竜の口まで満ち溢れ、諏訪湖のような満水(洪水)となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
長野県下伊那郡/未(ひつじ)の満水(1715年7月18日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
正徳5年6月17日(1715年7月17日)から降り始めた雨は、18日夜明けから膝を並べて話す声が聞こえないほどの大雨となった。高森町では大島川から流れ出た土石流が天竜川をせき止め、濁流は4km上流の竜の口まで満ち溢れ、諏訪湖のような満水(洪水)となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)