全国の過去の災害を石碑が教えてくれます。
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紹介スポット
- 1088件避水徙民碑(午年の水害)
三重県伊賀市/午年の水害(1870年9月18日~19日/1879年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
小田地区は柘植川と服部川が合流する位置にあり、昔から河川氾濫による水害を受けてきた。嘉永7年(1854)の安政の大地震(伊賀上野地震)で地盤沈下してからはより一層、水害に悩まされ、明治3年(1870)9月18日夜から19日にかけての水害では死者5名、全壊家屋85戸、多くの田畑が流失する被害となった。この水害の後、周辺6町村の住民は高所へ集団移住した。碑は旧馬苦労町から移築。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県伊賀市/午年の水害(1870年9月18日~19日/1879年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
小田地区は柘植川と服部川が合流する位置にあり、昔から河川氾濫による水害を受けてきた。嘉永7年(1854)の安政の大地震(伊賀上野地震)で地盤沈下してからはより一層、水害に悩まされ、明治3年(1870)9月18日夜から19日にかけての水害では死者5名、全壊家屋85戸、多くの田畑が流失する被害となった。この水害の後、周辺6町村の住民は高所へ集団移住した。碑は旧馬苦労町から移築。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
法華経塔(伊賀上野地震)
三重県伊賀市/伊賀上野地震(安政の大地震)(1854年7月9日)/1855年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
嘉永7年(1854)は三重県で大地震が連続して発生した。なかでも、2日前から前震が発生し始めた嘉永7年6月15日(1854年7月9日)の大地震で、伊賀では死者約600名の被害となった。約5ヶ月後の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)には安政東海地震が発生した。この碑は服部川の河川敷から当地に移設された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県伊賀市/伊賀上野地震(安政の大地震)(1854年7月9日)/1855年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
嘉永7年(1854)は三重県で大地震が連続して発生した。なかでも、2日前から前震が発生し始めた嘉永7年6月15日(1854年7月9日)の大地震で、伊賀では死者約600名の被害となった。約5ヶ月後の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)には安政東海地震が発生した。この碑は服部川の河川敷から当地に移設された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
安政伊賀上野地震供養塔(伊賀上野地震)
三重県伊賀市/伊賀上野地震(安政の大地震)(1854年7月9日)/1860年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
嘉永7年6月15日(1854年7月9日)午前2時頃に発生した伊賀上野地震は、新居地区を震源とし、伊賀では震度6から7の揺れがあり、600名近い死者があった。碑の南面に、この大地震により旧野間村において死者35名の被害があったことが記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県伊賀市/伊賀上野地震(安政の大地震)(1854年7月9日)/1860年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
嘉永7年6月15日(1854年7月9日)午前2時頃に発生した伊賀上野地震は、新居地区を震源とし、伊賀では震度6から7の揺れがあり、600名近い死者があった。碑の南面に、この大地震により旧野間村において死者35名の被害があったことが記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
師弟愛の像(室戸台風)
京都府京都市/室戸台風(1934年9月21日)/1960年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和9年(1934)9月21日、西日本一帯に猛威を振るった室戸台風の暴風により、京都市及びその周辺において数校の木造校舎が倒れ、その下敷きとなって児童162名、教員4名の命が奪われた。この像は戦後に再建されたものである。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
昭和9年(1934)9月21日、西日本一帯に猛威を振るった室戸台風の暴風により、京都市及びその周辺において数校の木造校舎が倒れ、その下敷きとなって児童162名、教員4名の命が奪われた。この像は戦後に再建されたものである。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
昭和十年水害浸水被害記念碑(洪水)
京都府京都市/洪水(1935年6月29日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和10年(1935)6月29日未明、数日来降り続いた豪雨のため、京都市内を貫流する河川はすべて氾濫し、4万戸以上の市内家屋が浸水の被害を受けた。上京区小川学区では、29日午前5時に上立売小川の石橋が落ち、小川に面する家屋は倒壊流失または半壊した。碑には「大出水地上四尺」とあり、約1.2mの浸水があったことがわかる。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
京都府京都市/洪水(1935年6月29日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和10年(1935)6月29日未明、数日来降り続いた豪雨のため、京都市内を貫流する河川はすべて氾濫し、4万戸以上の市内家屋が浸水の被害を受けた。上京区小川学区では、29日午前5時に上立売小川の石橋が落ち、小川に面する家屋は倒壊流失または半壊した。碑には「大出水地上四尺」とあり、約1.2mの浸水があったことがわかる。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
慰霊塔(室戸台風)
京都府八幡市/室戸台風(1934年9月21日)/1935年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和9年(1934)9月21日、かつてない規模の台風(室戸台風)の強風により、八幡尋常高等小学校の校舎のうち12教室2棟が倒壊、5教室が半壊した結果、教員及び児童34名の命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
京都府八幡市/室戸台風(1934年9月21日)/1935年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和9年(1934)9月21日、かつてない規模の台風(室戸台風)の強風により、八幡尋常高等小学校の校舎のうち12教室2棟が倒壊、5教室が半壊した結果、教員及び児童34名の命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水災復興記念(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日、六甲山麓を襲った豪雨により六甲山の各所で土石流が発生した。天上川も氾濫し、西青木地区では約500戸の被害があった。碑は、大水害の1年後に、西青木地区の復興を記念し、流れてきた巨石を利用して建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日、六甲山麓を襲った豪雨により六甲山の各所で土石流が発生した。天上川も氾濫し、西青木地区では約500戸の被害があった。碑は、大水害の1年後に、西青木地区の復興を記念し、流れてきた巨石を利用して建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
文豪谷崎文学碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日に、豪雨により六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。周辺では住吉川より濁流があふれ、多くの家屋が流失、埋没、全壊した。東灘に住んでいた谷崎潤一郎氏が、小説「細雪」に水害で水没した学校の様子を克明に描いており、水害当日の「妙子」の行動を記した一節を流れてきた流石を使用した碑に刻み、被害が甚大であったことを伝える。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日に、豪雨により六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。周辺では住吉川より濁流があふれ、多くの家屋が流失、埋没、全壊した。東灘に住んでいた谷崎潤一郎氏が、小説「細雪」に水害で水没した学校の様子を克明に描いており、水害当日の「妙子」の行動を記した一節を流れてきた流石を使用した碑に刻み、被害が甚大であったことを伝える。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
有備無患(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1941年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。住吉川に面した旧本山村では、死者11名、負傷者多数、流失・全半壊家屋約700棟、埋没・浸水家屋約1500棟と、当時の被害のすさまじさが記されている。有備無患とは、「備え有れば患(うれ)い無し」のこと。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1941年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。住吉川に面した旧本山村では、死者11名、負傷者多数、流失・全半壊家屋約700棟、埋没・浸水家屋約1500棟と、当時の被害のすさまじさが記されている。有備無患とは、「備え有れば患(うれ)い無し」のこと。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水災記念(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月、当地方を襲った阪神大水害では、六甲山の各所で土石流が発生し、多くの河川で氾濫が発生した。住吉川も氾濫し、流域に大きな被害をもたらした。この碑の台座の右わきに最高時の洪水水位が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月、当地方を襲った阪神大水害では、六甲山の各所で土石流が発生し、多くの河川で氾濫が発生した。住吉川も氾濫し、流域に大きな被害をもたらした。この碑の台座の右わきに最高時の洪水水位が刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
褐福無門(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。住吉川も氾濫し、流失全壊家屋約100棟、33名が死亡するなど、旧住吉村全村の7割にあたる2700戸に被害がおよんだ。後世への教訓とするため流出してきた転石(約30トン)に碑文を刻み、碑の高さは水害時の水位を示している(約3メートル)。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。住吉川も氾濫し、流失全壊家屋約100棟、33名が死亡するなど、旧住吉村全村の7割にあたる2700戸に被害がおよんだ。後世への教訓とするため流出してきた転石(約30トン)に碑文を刻み、碑の高さは水害時の水位を示している(約3メートル)。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
常ニ備ヘヨ(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1943年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、崩壊した土砂や巨岩が流れ下り、河川は氾濫して大洪水となった。住吉川の被害が最もひどく、洪水は両岸に溢れ出し、甲南小学校の校舎のほとんどが崩壊した。碑は、小学校の再築を記念して、当時の流石を使用し建立。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1943年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、崩壊した土砂や巨岩が流れ下り、河川は氾濫して大洪水となった。住吉川の被害が最もひどく、洪水は両岸に溢れ出し、甲南小学校の校舎のほとんどが崩壊した。碑は、小学校の再築を記念して、当時の流石を使用し建立。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害記念碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。石屋川、高羽川でも決壊により死者数名と家屋が流失した。現在の石屋川の川底が昔の道路で、この記念碑がある位置は、そこから30段の石段を登ったところにあった。大量の土砂の堆積を伝えている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。石屋川、高羽川でも決壊により死者数名と家屋が流失した。現在の石屋川の川底が昔の道路で、この記念碑がある位置は、そこから30段の石段を登ったところにあった。大量の土砂の堆積を伝えている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害水難者之碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1958年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で山腹が崩壊し土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。上高羽地区でも、石屋川上流の土石流を伴う氾濫のため、死者数名と家屋が流失。碑は、石屋川に流された人の霊が夢枕に現れたという夫婦により建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1958年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で山腹が崩壊し土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。上高羽地区でも、石屋川上流の土石流を伴う氾濫のため、死者数名と家屋が流失。碑は、石屋川に流された人の霊が夢枕に現れたという夫婦により建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水難慰霊碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。六甲川・仙谷川の合流点を含む篠原地区では43名の命が奪われた。彼らを悼む碑が合流点近くに建立されていたが、昭和14年(1939)に約500m東にあるお寺の境内に移設。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。六甲川・仙谷川の合流点を含む篠原地区では43名の命が奪われた。彼らを悼む碑が合流点近くに建立されていたが、昭和14年(1939)に約500m東にあるお寺の境内に移設。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害記念(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。新在家近辺も都賀川の氾濫のためほとんど全戸が浸水したが、近隣の援助を得てわずか数か月で復興した。当時の惨状を思い、流石で碑を建立した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。新在家近辺も都賀川の氾濫のためほとんど全戸が浸水したが、近隣の援助を得てわずか数か月で復興した。当時の惨状を思い、流石で碑を建立した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害復興記念碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1940頃年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)、夏の連日の雨は7月5日の豪雨に至り、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。苧川・布引渓谷でも樹木や土砂が崩壊して濁流となり、桜谷からの奔流も加わり激しい勢いで加納町に襲来し、街路は修羅場と化し、死者12名、家屋被害は220戸余りの惨状となった。北東200mの一宮交番のそばより2007年3月移設。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1940頃年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)、夏の連日の雨は7月5日の豪雨に至り、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。苧川・布引渓谷でも樹木や土砂が崩壊して濁流となり、桜谷からの奔流も加わり激しい勢いで加納町に襲来し、街路は修羅場と化し、死者12名、家屋被害は220戸余りの惨状となった。北東200mの一宮交番のそばより2007年3月移設。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
流石之碑(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨で六甲山の各所で土石流が発生した。楠谷町を流れる宇治川・楠谷川でも氾濫し、流失家屋約150戸、死者10名余りの被害となった。この碑は楠谷町近辺の惨状を記録し、復興の記念のために当時の転石を用い、皆で復興に一致協力したことから流石を「さすが」と読んでもよいことなどが記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1939年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨で六甲山の各所で土石流が発生した。楠谷町を流れる宇治川・楠谷川でも氾濫し、流失家屋約150戸、死者10名余りの被害となった。この碑は楠谷町近辺の惨状を記録し、復興の記念のために当時の転石を用い、皆で復興に一致協力したことから流石を「さすが」と読んでもよいことなどが記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害復興記念(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。一瞬で濁流に流された荒田町の被害は、遭難者125名、浸水家屋約1800戸と甚大であった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1938年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫した。一瞬で濁流に流された荒田町の被害は、遭難者125名、浸水家屋約1800戸と甚大であった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
慰霊塔(阪神大水害)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1941年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫し、大量の土砂が神戸市内を埋めつくした。特に被害が甚大であった石井川と天王谷川の合流するこの場所に、「このような災害を再び起こしてはならない」という誓いを後世に伝えていくために建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
兵庫県神戸市/阪神大水害(1938年7月5日)/1941年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和13年(1938)7月5日の豪雨により、六甲山の各所で土石流が発生し、河川は一斉に氾濫し、大量の土砂が神戸市内を埋めつくした。特に被害が甚大であった石井川と天王谷川の合流するこの場所に、「このような災害を再び起こしてはならない」という誓いを後世に伝えていくために建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)