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全国の過去の災害を石碑が教えてくれます。
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紹介スポット
- 1088件消防殉職者の碑 (平成3年雲仙岳噴火)
長崎県島原市/平成3年雲仙岳噴火(1991年6月3日)/1999年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
1990年雲仙普賢岳の噴火が始まり1991年6月3日発生した大火砕流により消防団員12名を含む43人の命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県島原市/平成3年雲仙岳噴火(1991年6月3日)/1999年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
1990年雲仙普賢岳の噴火が始まり1991年6月3日発生した大火砕流により消防団員12名を含む43人の命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
雲仙岳災害記念碑 (平成3年雲仙岳噴火)
長崎県島原市/平成3年雲仙岳噴火(1991年6月3日)/1995年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
1990年雲仙普賢岳の噴火が始まり1991年6月3日発生した大火砕流により43人の命が奪われた (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県島原市/平成3年雲仙岳噴火(1991年6月3日)/1995年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
1990年雲仙普賢岳の噴火が始まり1991年6月3日発生した大火砕流により43人の命が奪われた (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
諫早大水害復興記念碑 (諫早大水害)
長崎県諫早市/諫早大水害(1957年7月25日)/1977年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和32年(1957)7月25日、一日雨量900ミリ以上の集中豪雨が山津波と本明川の氾濫を引き起こし539人の犠牲者を出した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県諫早市/諫早大水害(1957年7月25日)/1977年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和32年(1957)7月25日、一日雨量900ミリ以上の集中豪雨が山津波と本明川の氾濫を引き起こし539人の犠牲者を出した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害復興記念碑 (元禄水害)
長崎県諫早市/元禄水害(1699年) 諫早大水害(1957年7月25日)/1977年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
元禄12年(1699)8月13日の水害により487人の犠牲者を出した。昭和32年(1957)7月25日には一日900ミリ以上という集中豪雨により539人の犠牲者を出した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県諫早市/元禄水害(1699年) 諫早大水害(1957年7月25日)/1977年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
元禄12年(1699)8月13日の水害により487人の犠牲者を出した。昭和32年(1957)7月25日には一日900ミリ以上という集中豪雨により539人の犠牲者を出した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
島原大変供養塔 (眉山崩壊)
長崎県雲仙市/眉山崩壊(1792年)/1799年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)に「島原大変肥後迷惑」が起きた。眉山(まゆやま)の大崩壊によって起こった大津波は熊本県の沿岸に押し寄せ、溺死者約2万人以上の被害があったと言われている。この碑は、土黒海岸に打ち寄せられた身元不明の死者の霊を弔うために建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県雲仙市/眉山崩壊(1792年)/1799年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)に「島原大変肥後迷惑」が起きた。眉山(まゆやま)の大崩壊によって起こった大津波は熊本県の沿岸に押し寄せ、溺死者約2万人以上の被害があったと言われている。この碑は、土黒海岸に打ち寄せられた身元不明の死者の霊を弔うために建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
流死菩薩供養塔 (眉山崩壊)
長崎県雲仙市/眉山崩壊(1792年)/1793年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、温泉山(雲仙岳)の火山活動に伴う地震によって眉山(まゆやま)の東側半分が崩壊し、有明海になだれ落ち一大津波を引き起こした。人的被害は2万人以上で、沢山の死骸が浜辺に打ち寄せられた。この塔は琴平の海岸に運ばれた死体を埋葬した場所に建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県雲仙市/眉山崩壊(1792年)/1793年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、温泉山(雲仙岳)の火山活動に伴う地震によって眉山(まゆやま)の東側半分が崩壊し、有明海になだれ落ち一大津波を引き起こした。人的被害は2万人以上で、沢山の死骸が浜辺に打ち寄せられた。この塔は琴平の海岸に運ばれた死体を埋葬した場所に建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
大水害記録碑 (諌早豪雨)
長崎県雲仙市/諌早豪雨(1957年7月25日)/1960年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和32年(1957)7月25日、有明海を中心とした諫早島原間の集中豪雨は日雨量1000mmを突破し、同日夕刻には河川が氾濫して周辺の土地建物をことごとく洗い流し、山崩れが生じ橋梁が落ちるなど、村の様相が一変する古今未曽有の大災害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

長崎県雲仙市/諌早豪雨(1957年7月25日)/1960年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和32年(1957)7月25日、有明海を中心とした諫早島原間の集中豪雨は日雨量1000mmを突破し、同日夕刻には河川が氾濫して周辺の土地建物をことごとく洗い流し、山崩れが生じ橋梁が落ちるなど、村の様相が一変する古今未曽有の大災害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
津波供養碑 (眉山崩壊)
熊本県熊本市/眉山崩壊(1792年5月21日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙岳の噴火活動中に起きた地震により眉山の(まゆやま)東側が大きく崩れた。崩壊に伴う大量の土砂が有明海になだれ込み大きな津波を引き起こしたため、沿岸のおよそ1万5千人の人々が犠牲となった。「島原大変肥後迷惑」とも呼ばれるこの災害で、ここ旧河内村塩屋地区では、約100人が亡くなったとの記録がある。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

熊本県熊本市/眉山崩壊(1792年5月21日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙岳の噴火活動中に起きた地震により眉山の(まゆやま)東側が大きく崩れた。崩壊に伴う大量の土砂が有明海になだれ込み大きな津波を引き起こしたため、沿岸のおよそ1万5千人の人々が犠牲となった。「島原大変肥後迷惑」とも呼ばれるこの災害で、ここ旧河内村塩屋地区では、約100人が亡くなったとの記録がある。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害復興の碑 (昭和47年7月豪雨)
熊本県天草市/昭和47年7月豪雨(1972年7月6日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和47年(1972)7月6日、梅雨前線による集中豪雨により天草上島の五町(当時)では随所において山津波(土石流)が発生し、農地のみならず人家まで流失や埋没し、倉岳町だけでも死者29名、全壊家屋74戸、床上浸水128戸、床下浸水963戸等の大災害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

熊本県天草市/昭和47年7月豪雨(1972年7月6日)/1981年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和47年(1972)7月6日、梅雨前線による集中豪雨により天草上島の五町(当時)では随所において山津波(土石流)が発生し、農地のみならず人家まで流失や埋没し、倉岳町だけでも死者29名、全壊家屋74戸、床上浸水128戸、床下浸水963戸等の大災害となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
水害慰霊碑 (昭和47年7月豪雨)
熊本県天草市/昭和47年7月豪雨(1972年7月6日)/1974年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和47年(1972)7月6日、梅雨前線による集中豪雨により倉岳と矢筈岳で山津波(土石流)が発生した。土石流はこれらの山を源流とするほとんどの河川にあふれ、農地のみならず人家まで流失や埋没あるいは倒壊し、倉岳町宮田地区だけでも17名もの命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

熊本県天草市/昭和47年7月豪雨(1972年7月6日)/1974年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和47年(1972)7月6日、梅雨前線による集中豪雨により倉岳と矢筈岳で山津波(土石流)が発生した。土石流はこれらの山を源流とするほとんどの河川にあふれ、農地のみならず人家まで流失や埋没あるいは倒壊し、倉岳町宮田地区だけでも17名もの命が奪われた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)