全国の過去の災害を石碑が教えてくれます。
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紹介スポット
- 1088件狐嶋溺死供養塔(眉山崩壊)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/1837年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ、特に玉名地域では、干拓地を造成中であった旧下沖州村や旧鍋村での被害が大きく、人家は流され、田畑も荒廃した。今日でも「島原大変、肥後迷惑」の口伝が残る。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/1837年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ、特に玉名地域では、干拓地を造成中であった旧下沖州村や旧鍋村での被害が大きく、人家は流され、田畑も荒廃した。今日でも「島原大変、肥後迷惑」の口伝が残る。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
津波死十一人塔(眉山崩壊)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ、特に玉名地域では、干拓地を造成中であった旧下沖州村や旧鍋村での被害が大きく、人家は流され、田畑も荒廃した。今日でも「島原大変、肥後迷惑」の口伝が残る。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/建立年不明(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ、特に玉名地域では、干拓地を造成中であった旧下沖州村や旧鍋村での被害が大きく、人家は流され、田畑も荒廃した。今日でも「島原大変、肥後迷惑」の口伝が残る。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
津波石の跡(眉山崩壊)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/1792年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ熊本藩でも多くの人が亡くなった。おそらく当時の横島地区はまだ耕地化されておらず住民は山の中腹に住んでいたため、当地での被害記録は無いが、ここにあった石まで津波が打ち寄せたという言い伝えがある。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
熊本県玉名市/眉山崩壊(1792年5月21日)/1792年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
寛政4年4月1日(1792年5月21日)、島原半島の雲仙普賢岳の噴火活動に伴う地震により、眉山(まゆやま)が海中へ崩落して大津波を引き起こした。津波は対岸の熊本に押し寄せ熊本藩でも多くの人が亡くなった。おそらく当時の横島地区はまだ耕地化されておらず住民は山の中腹に住んでいたため、当地での被害記録は無いが、ここにあった石まで津波が打ち寄せたという言い伝えがある。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
金吉地区山地崩壊災害慰霊碑(土砂災害)
大分県中津市/土砂災害(2018年4月11日)/2020年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成30年(2018年)4月11日、無降雨時にもかかわらず梶ヶ原集落裏手の斜面が地すべりにより崩落し、住宅4棟と周辺田畑及び、そばを流れる金吉川を覆いつくした。3世帯の全員、計6名が死亡し、当集落に甚大な被害をもたらした。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
大分県中津市/土砂災害(2018年4月11日)/2020年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成30年(2018年)4月11日、無降雨時にもかかわらず梶ヶ原集落裏手の斜面が地すべりにより崩落し、住宅4棟と周辺田畑及び、そばを流れる金吉川を覆いつくした。3世帯の全員、計6名が死亡し、当集落に甚大な被害をもたらした。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
災害復旧記念碑(九州北部豪雨災害)
大分県竹田市/九州北部豪雨災害(2012年7月12日)/2015年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成24年(2012)7月12日、集中豪雨により竹田市内では玉来川の氾濫や支流の滝水川流域で多数の斜面崩壊が発生した。荻町南河内では土砂災害で死者1名、尊い命が犠牲となり地域全体が避難状態となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
大分県竹田市/九州北部豪雨災害(2012年7月12日)/2015年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
平成24年(2012)7月12日、集中豪雨により竹田市内では玉来川の氾濫や支流の滝水川流域で多数の斜面崩壊が発生した。荻町南河内では土砂災害で死者1名、尊い命が犠牲となり地域全体が避難状態となった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
えびの地震記念碑(えびの地震)
宮崎県えびの市/えびの地震(1968年2月21日)/1971年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和43年(1968)2月21日、霧島山北麓を震源として、8時51分(震度5)と10時45分(震度6)の烈強震をはじめ、同年9月末までに12,353回(内有感1,706回)の火山性群発地震があった。宮崎県内で負傷者35人、住家・非住家の被害6,087棟をはじめ学校や道路、鉄道、電話、上水道施設等におよそ65億円もの被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
宮崎県えびの市/えびの地震(1968年2月21日)/1971年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和43年(1968)2月21日、霧島山北麓を震源として、8時51分(震度5)と10時45分(震度6)の烈強震をはじめ、同年9月末までに12,353回(内有感1,706回)の火山性群発地震があった。宮崎県内で負傷者35人、住家・非住家の被害6,087棟をはじめ学校や道路、鉄道、電話、上水道施設等におよそ65億円もの被害が発生した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風殉難の碑(1) (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1961年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防やしゅんせつ船の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1961年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防やしゅんせつ船の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風殉難の碑(2) (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1961年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1961年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日当地方を襲った伊勢湾台風は、木曽三川下流部の堤防を寸断し、多くの尊い人命を奪って通りすぎて行った。この碑は堤防の保守に当られ殉職された方々をまつり再びこの悲しみを繰りかえさないよう祈りをこめて建てられた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風災害復興記念碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1999年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜来襲した伊勢湾台風によって木曽揖斐長良三川の堤防は寸断された。これらの堤防の汐どめ工事は、多くの人々の協力により進められ、最後の締切りは大潮時にあったにもかかわらず53日目の11月18日この地において完了した。防災拠点整備により当初の記念碑に代わり建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1999年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜来襲した伊勢湾台風によって木曽揖斐長良三川の堤防は寸断された。これらの堤防の汐どめ工事は、多くの人々の協力により進められ、最後の締切りは大潮時にあったにもかかわらず53日目の11月18日この地において完了した。防災拠点整備により当初の記念碑に代わり建立された。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風記念観音 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1962年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日突如来襲した伊勢湾台風により堤防が決壊して、松陰地区は水没し、流失家屋71戸、水難死者103名(建立当時)、その他に家財を流失した者はほぼ全村に及んだ。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1962年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日突如来襲した伊勢湾台風により堤防が決壊して、松陰地区は水没し、流失家屋71戸、水難死者103名(建立当時)、その他に家財を流失した者はほぼ全村に及んだ。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
平和観音像 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風は史上まれな大型台風で、陸上においても風速70m以上に達し、烈風、豪雨、高波、高潮と二重三重の悪条件が重なって、伊勢湾一帯に甚大なる災害をもたらした。長島町の美田は一瞬にして泥海と化し、430世帯の家屋は流失又は全壊し、多くの家財を失い、382人の人命を失った。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1963年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風は史上まれな大型台風で、陸上においても風速70m以上に達し、烈風、豪雨、高波、高潮と二重三重の悪条件が重なって、伊勢湾一帯に甚大なる災害をもたらした。長島町の美田は一瞬にして泥海と化し、430世帯の家屋は流失又は全壊し、多くの家財を失い、382人の人命を失った。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
城南干拓開拓史の碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1979年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風による大災害を被り、男女合わせて55名の尊い人々の命が奪われた。被災地において、仮設住宅で生活すること約2年、苦難と心痛を乗り越え、災害後3年の短期間に、復旧を成し遂げた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1979年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風による大災害を被り、男女合わせて55名の尊い人々の命が奪われた。被災地において、仮設住宅で生活すること約2年、苦難と心痛を乗り越え、災害後3年の短期間に、復旧を成し遂げた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風不忘碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1962年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜伊勢湾台風は大きな爪痕を当地方に残して去 った。桑名市(当時)では死者202名(建立当時)、家屋全壊・流失394世帯、床上浸水4791世帯などの大きな被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1962年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日夜伊勢湾台風は大きな爪痕を当地方に残して去 った。桑名市(当時)では死者202名(建立当時)、家屋全壊・流失394世帯、床上浸水4791世帯などの大きな被害があった。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
桑名宗社(春日神社)の青銅鳥居痕跡 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1960年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
左右の両柱にある窪みは 昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風の高潮により打上げら れた荷物船が横さまに激突した痕跡である、という記述がこの鳥居の柱そのものに刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1960年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
左右の両柱にある窪みは 昭和34年(1959)9月26日夜半の伊勢湾台風の高潮により打上げら れた荷物船が横さまに激突した痕跡である、という記述がこの鳥居の柱そのものに刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風遭難者荼毘之跡碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1966年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風により桑名市(当時)は207名の尊い人命を失った。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1966年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾台風により桑名市(当時)は207名の尊い人命を失った。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風水難犠牲者慰霊碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1983年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾北部臨海地域を襲った史上空前の伊勢湾台風は未曾有の大災害をもたらし、当松蔭地区の水難犠牲者は全域にわたり105人を数えた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1983年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)9月26日伊勢湾北部臨海地域を襲った史上空前の伊勢湾台風は未曾有の大災害をもたらし、当松蔭地区の水難犠牲者は全域にわたり105人を数えた。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
伊勢湾台風30年碑 (伊勢湾台風)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1989年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)の伊勢湾台風の災害復旧事業で建設された高潮堤防の地盤沈下対策として、延長26kmにわたる堤防のかさ上げ工事が昭和50年度(1975)から昭和63年度(1988)まで行われた。碑には「時代に引き継ぐあの教訓 伊勢湾台風」と刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県桑名市/伊勢湾台風(1959年9月26日)/1989年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和34年(1959)の伊勢湾台風の災害復旧事業で建設された高潮堤防の地盤沈下対策として、延長26kmにわたる堤防のかさ上げ工事が昭和50年度(1975)から昭和63年度(1988)まで行われた。碑には「時代に引き継ぐあの教訓 伊勢湾台風」と刻まれている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
宝永津波供養碑(馬越墓地の三界萬霊碑) (宝永地震 )
三重県尾鷲市/宝永地震(1707年10月28日) /1713年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永地震により東南海道一帯に津波が押し寄せた。このとき尾鷲浦においても、栢町(現・栄町)まで波が逆のぼり、人家半数が流失した。碑には、尾鷲は三方を海に面し背後は山であったため津波から逃げられず、全ての人々が波にのまれ、1000人余りが溺死、遺体が山のように積み上がった、などの惨状が記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県尾鷲市/宝永地震(1707年10月28日) /1713年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永地震により東南海道一帯に津波が押し寄せた。このとき尾鷲浦においても、栢町(現・栄町)まで波が逆のぼり、人家半数が流失した。碑には、尾鷲は三方を海に面し背後は山であったため津波から逃げられず、全ての人々が波にのまれ、1000人余りが溺死、遺体が山のように積み上がった、などの惨状が記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
東南海地震都市計画完成記念の碑 (昭和東南海地震)
三重県尾鷲市/昭和東南海地震(1944年12月7日)/1995年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和19年(1944)12月7日午後1時36分頃熊野灘沖合で発生した昭和東南海地震による津波で、尾鷲市賀田地区は、高さ9mの津波に見舞われ、死者21人、家屋の流失181戸の被害を受けた。この碑の土台には「これより3.0m上が津波水位高」と記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県尾鷲市/昭和東南海地震(1944年12月7日)/1995年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和19年(1944)12月7日午後1時36分頃熊野灘沖合で発生した昭和東南海地震による津波で、尾鷲市賀田地区は、高さ9mの津波に見舞われ、死者21人、家屋の流失181戸の被害を受けた。この碑の土台には「これより3.0m上が津波水位高」と記されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
遭難之碑 (昭和東南海地震)
三重県尾鷲市/昭和東南海地震(1944年12月7日)/1973年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和19年(1944)12月7日午後1時半頃に発生した昭和東南海地震により、地震後20分で6mの津波が来襲し、当地方では、死者21人、流失家屋181戸の被害が発生した。山門裏には、当地方の主な津波被害・山津波の記録も残されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
三重県尾鷲市/昭和東南海地震(1944年12月7日)/1973年建立(国土地理院自然災害伝承碑データ)
昭和19年(1944)12月7日午後1時半頃に発生した昭和東南海地震により、地震後20分で6mの津波が来襲し、当地方では、死者21人、流失家屋181戸の被害が発生した。山門裏には、当地方の主な津波被害・山津波の記録も残されている。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)