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紹介スポット
- 8106件春日山城跡
国指定史跡
一般的な山城では、山の麓に居住地があったが、ここは武力高い武士を山全体に住まわせることにより、防御力を増した城となっていました。 niigata-kankou.or.jp/spot/8428...
国指定史跡
一般的な山城では、山の麓に居住地があったが、ここは武力高い武士を山全体に住まわせることにより、防御力を増した城となっていました。 niigata-kankou.or.jp/spot/8428...
1180年、鎌倉に入った源頼朝は、戦勝祈願のため材木座海岸近くに勧請していた京都石清水八幡宮を、今の八幡宮境内「若宮」の位置に移し、その東隣に居を定めた。 鎌倉幕府の年中行事の多くがここで催され、幕府政治の中枢としての機能を帯びていく。その後も室町から江戸時代まで社殿は修造が重ねられ、明治になって国幣中社に列せられる。 ※境内社殿などの詳しい説明は『鎌倉散歩24コース』、頼朝については高橋典幸『源頼朝』(ともに山川出版社)参照。
1180年、鎌倉に入った源頼朝は、戦勝祈願のため材木座海岸近くに勧請していた京都石清水八幡宮を、今の八幡宮境内「若宮」の位置に移し、その東隣に居を定めた。 鎌倉幕府の年中行事の多くがここで催され、幕府政治の中枢としての機能を帯びていく。その後も室町から江戸時代まで社殿は修造が重ねられ、明治になって国幣中社に列せられる。 ※境内社殿などの詳しい説明は『鎌倉散歩24コース』、頼朝については高橋典幸『源頼朝』(ともに山川出版社)参照。
鎌倉と六浦を結ぶ切通し。六浦は中世、鎌倉の外港としての機能をもち、また幕府は六浦および対岸の房総に塩を求めた。 名前の由来は鎌倉幕府初代別当和田義盛の三男で豪力で知られた朝比奈三郎義秀が一夜のうちに切り開いたという伝説による。実際は北条泰時が執権の1241年に工事が着手されたので、朝比奈三郎が鎌倉にいたより30年以上のちのことである。写真は朝比奈三郎の滝とその周辺。
鎌倉と六浦を結ぶ切通し。六浦は中世、鎌倉の外港としての機能をもち、また幕府は六浦および対岸の房総に塩を求めた。 名前の由来は鎌倉幕府初代別当和田義盛の三男で豪力で知られた朝比奈三郎義秀が一夜のうちに切り開いたという伝説による。実際は北条泰時が執権の1241年に工事が着手されたので、朝比奈三郎が鎌倉にいたより30年以上のちのことである。写真は朝比奈三郎の滝とその周辺。