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源義朝の墓 - トップ画像

源義朝の墓

史跡・名所

店舗情報

愛知県知多郡美浜町野間東畠50行き方を調べる
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源義朝の墓は、大御堂寺の中にあります。墓の周辺を見るとたくさんの木が置いてありますが、これには次のエピソードがあるからです。 お風呂で長田父子に襲われた義朝は丸腰でした。そりゃお風呂に入っているのですから当然ですよね。そして息絶える寸前、『せめて木刀の1本もあればこんな事にはならなかったものを…』と言い残して亡くなったそうです。 その後、義朝の墓には木刀を模した木の札が奉納されることになりました。 ちなみにこの木の札は1本500円と有料なのですが、願いを書いて奉納すると願いが叶うといわれ、どちらかというと義朝を偲ぶ人達というより、願いを叶えたい人達が参拝しています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1465

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1159年(平治元年)、頼朝とともに出陣した平治の乱で平清盛に敗れた義朝は、東国へ逃れる途中、尾張国野間に立ち寄り、郎党の鎌田政家(政長・政清)の舅・長田忠致のもとに身を寄せるが、恩賞が欲しい忠致・景致父子によって入浴中に襲撃され最期を遂げた(1160年(平治2年)正月3日 享年38歳)。  この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と言い残したという。  そのため野間大坊(大御堂寺)の義朝の墓には木太刀が供えられている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/owari/nomad...

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