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懐嶋山の碑 - トップ画像

懐嶋山の碑

史跡
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懐嶋山の碑

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茅ヶ崎市西久保にある「懐嶋山の碑」は、「えな塚」とも呼ばれ、源頼朝と丹後局との間に生まれた子の胎盤(胞衣(えな))が納められたと伝えられている。  頼朝の子を身籠った丹後局は、北条政子に知られてしまったことから、懐嶋郷の領主・大庭景能(景義)の館(懐嶋館)に匿われ、その後、西久保の桜屋敷に移って男子を出産した。  三郎と名付けられた男子は、1185年(文治元年)、7歳のときに頼朝と対面し「忠久」と名乗った。  この忠久が、のちに薩摩国を本拠地とした島津氏の祖なのだという。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/ena-tuka.ht...

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2021/2/6

この碑によると、源頼朝が側室丹後局との間に授かった子供である三郎の胎盤を納めたところだそうで、そのためこの辺りの通称は、えな塚(胞衣(えな)=臍帯を含む胎盤)となっているそうです。そして、その三郎が後に島津忠久と名乗り、九州島津氏の祖になったそう。丹後局が伝説上の人という説もありますので、真相はいかに…

(編集済み)

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