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壇ノ浦古戦場 - トップ画像

壇ノ浦古戦場

史跡・名所
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2022/7/4

京から追われ、逃げ移った屋島からも義経によって追われ、九州は範頼によっておさえられ、行き場を無くした平家の最後の地。義経の「八艘はっそう飛び」も有名で、ここでも強さを発揮し、平家滅亡に追いやり、約6年にわたる源平合戦の終焉を迎えました。三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と、安徳天皇を無事に戻すことが求められましたが、安徳天皇と草薙剣は海の底へ…。

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1185年(元暦2年)3月24日、源義経率いる水軍と平知盛率いる水軍が、長門国赤間関壇ノ浦の海上で衝突。合戦が開始された時刻は定かではないが、午の刻(正午頃)には平家軍の敗北に終わっている。二位尼(平時子:平清盛の妻)は三種の神器の一つ宝剣を持ち、按察局(あぜのつぼね)は安徳帝を抱えて入水。建礼門院(平清盛の娘徳子)も海へ飛び込むが源五右馬允(げんごうまのじょう)によって助けられ、安徳帝を抱いて海へ身を投げた按察局も同様に助けられている。平家一門の平教盛らも次々に入水し、経盛は一度上陸して出家してから入水したのだという。しかし、総大将の宗盛とその子清宗は、伊勢三郎能盛によって捕虜とされている。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/dannoura/da...

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