満福寺
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2022/3/24
源義経が兄源頼朝の許しを得るために「腰越状」を書いた寺として知られる。 1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、平家の総大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしたが、兄頼朝は鎌倉に入ることを許さなかった。 義経は腰越の満福寺に留まり、大江広元を通じて頼朝の許しを得ようとするが、許されることはなく再び京へ戻ることになる。 その後、頼朝との仲はさらに悪化し、ついには義経捕縛命令が出される。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/page139manp...
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