曽我兄弟の墓
MEQQE公式アカウント
2022/3/24
1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩り。 この時に起こったのが曽我兄弟の仇討ち。 見事に親の仇を討った曽我兄弟だったが、兄の十郎祐成は仁田忠常に討たれ、弟の五郎時致は捕えられて処刑された。 曽我兄弟の墓の辺りには仁田忠常の陣所が置かれていたといわれ、兄の十郎祐成が討たれた場所といわれる。 「露とのみ消えにしあとを来てみれば尾花が末に秋風ぞ吹く」 十郎祐成の愛人だった虎御前は、兄弟の終焉の地を訪れてこう詠んだのだという。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/fuji/fuji-m...
0
0