畠山重忠の菅谷館
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2022/3/24
『吾妻鏡』に伝えられている畠山重忠の館跡と考えられている。 重忠は、誕生地とされる武蔵国男衾郡畠山に畠山館を構えていたが、のちに鎌倉街道の要衝にあたる比企郡菅谷の地に移った。 1205年(元久2年)に重忠が武蔵国二俣川で滅んだ後は、畠山の名跡を継いだ足利義純の子孫に伝えられたというが、現存する遺構は戦国時代のもので、重忠の時代のものとされる遺構は発見されていないため不明なところが多い。 ▼こちらもご覧ください yoritomo-japan.com/hatakeyama/...
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