漢陽楼
歴史散歩マイスター
2021/12/14
日清戦争後,中国人の日本留学がブームとなり,1905(明治38)年ころには中国人留学生の数が1万人を超えました。 その後,日本の中国大陸進出が激しくなるに従い留学生の数は減っていきますが,それでも1940年代までは常時,数千人規模の留学生が日本に滞在していたといいます。 彼らの多くは東京に住んでいましたが,とりわけ神保町の界隈には多く集まっていました。 それは,中国人留学生のための東亜高等予備校や日中関係の改善融和を目指して設立された日華学会,数多くの留学生を受け入れていた明治大学などの私立大学,清国留学生会館などがあったからです。 そして,彼らの腹を故郷の味で満たすべく,神保町界隈には中国人が経営するたくさんの中華料理店ができました。 その一つが1911(明治44)年に開業した上海料理の漢陽楼で,開店にあたっては留学生たちが店づくりを手伝ったといいます。留学中の周恩来もこの店によく通いました。 好きだったのは郷里江蘇省の家庭料理「清燉獅子頭(チンドゥシーズートゥ)」(大きな肉団子入りスープ)でしたが,学生の身には高価でいつも食べていたというわけではなかったようです。
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