総本家 近清
京都市 中京区役所
2024/1/23
創業約250年の歴史を誇る、京都で一番古い漬物屋「総本家 近清」。元々は滋賀県の草津で農業を営み、近江の産物を販売する直営店「近江屋」を構え、野菜や米、味噌などを販売していましたが、江戸幕府第8代将軍「徳川吉宗」が財政立て直しのために行った「享保の改革」によって、お店を京都の魚の棚通(六条通)に移しました。 「享保の改革」では、農民が自身でつくった作物を加工して販売(家内工業)できるようになりました。それにより、お店で売れ残った近江の野菜を捨てるのはもったいないと考えていた初代清右衛門は、野菜を味噌やぬかに漬けて保存し、それを販売することにしました。瞬く間に大人気商品となり、これが漬物のはじまりとなりました。 その後、1764年に農業から漬物屋へと転身し、屋号も「近清」に変更し、漬物屋として一歩を踏み出したのです。当時、魚の棚通は本願寺門前町として本願寺を訪れた人々や観光客がにぎわう商店街であったため、漬物屋として広く親しまれるようになっていきました・・・ 気になる記事の続き及び代表取締役 櫻井 慎也(さくらい しんや)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年12月15日時点の内容です。
京都市 中京区役所
2024/1/23
創業約250年の歴史を誇る、京都で一番古い漬物屋「総本家 近清」。元々は滋賀県の草津で農業を営み、近江の産物を販売する直営店「近江屋」を構え、野菜や米、味噌などを販売していましたが、江戸幕府第8代将軍「徳川吉宗」が財政立て直しのために行った「享保の改革」によって、お店を京都の魚の棚通(六条通)に移しました。 「享保の改革」では、農民が自身でつくった作物を加工して販売(家内工業)できるようになりました。それにより、お店で売れ残った近江の野菜を捨てるのはもったいないと考えていた初代清右衛門は、野菜を味噌やぬかに漬けて保存し、それを販売することにしました。瞬く間に大人気商品となり、これが漬物のはじまりとなりました。 その後、1764年に農業から漬物屋へと転身し、屋号も「近清」に変更し、漬物屋として一歩を踏み出したのです。当時、魚の棚通は本願寺門前町として本願寺を訪れた人々や観光客がにぎわう商店街であったため、漬物屋として広く親しまれるようになっていきました・・・ 気になる記事の続き及び代表取締役 櫻井 慎也(さくらい しんや)様からのメッセージは、以下より中京区役所HP内の中京区応援サイト「なかなか中京」をご覧ください。 city.kyoto.lg.jp/nakagyo/page/... ※令和5年12月15日時点の内容です。
京都市 中京区役所
2024/1/23
創業約250年の歴史を誇る、京都で一番古い漬物屋「総本家 近清」。元々は滋賀県の草津で農業を営み、近江の産物を販売する直営店「近江屋」を構え、野菜や米、味噌などを販売していましたが、江戸幕府第8代将軍「徳川吉宗」が財政立て直しのために行った「享保の改革」によって、お店を京都の魚の棚通(六条通)に移しました。 「享保の改革」では、農民が自身でつくった作物を加工して販売(家内工業)できるようになりました。それにより、お店で売れ残った近江の野菜を捨てるのはもったいないと考えていた初代清右衛門は、野菜を味噌やぬかに漬けて保存し、それを販売することにしました。瞬く間に大人気商品となり、これが漬物のはじまりとなりました。 その後、1764年に農業から漬物屋へと転身し、屋号も「近清」に変更し、漬物屋として一歩を踏み出したのです。当時、魚の棚通は本願寺門前町として本願寺を訪れた人々や観光客がにぎわう商店街であったため、漬物屋として広く親しまれるようになっていきました・・・