首切り坂
店舗情報
みかわのひで
2022/6/6
重原城が落城しそうになった頃、城主の山岡河内守(伝五郎)は、まだ子供だった息子を家臣に託して逃がします。 しかし南の猿渡川(さわたりがわ)を渡りきろうとしていた場所で、今川軍に捕まってしまい、山岡河内守の息子と家臣はその場で最後を迎えました。それが現在、首切り坂といわれている場所です。 以前は看板が建っていたのですが、現在では限られた郷土史家の中でのみ、その場所が伝えられています。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=1218
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