みかわのひで
2022/6/6
荒川城は別名『八ツ面古城』。東条吉良氏の分流・荒川義広の居城。現在の西尾市立八ツ面小学校の場所に、かつて荒川城があったとの事。義広は東条城の東条吉良氏から独立し、戸ヶ崎氏から分流した『荒川氏』を継ぎます。徳川家康が吉良義昭と争ったときは、家康に味方して功を立て、これにより、家康の異母妹・市楊姫を妻とします。しかし三河一向一揆では一揆方に属し、家康に敗北。翌年に荒川城も落城。その後子孫は尾張徳川家に仕えます。周辺は住宅開発で城跡の遺構は残ってない様に思えますが、わずかに堀跡、曲輪跡を偲ぶことができます。 【詳しい説明はこちら】 sengokushiseki.com/?p=2129
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