金玉均の墓碑
店舗情報
歴史散歩マイスター
2021/12/14
青山霊園の外国人墓地にある,ひときわ大きな板状の墓碑が金玉均(きんぎょくきん)の墓です。 金玉均は,1882(明治15)年に2度目の来日を果たし,福沢諭吉らの支援で約半年間の留学生活を送りました。 日本の明治維新にならって朝鮮の近代化を図ろうとした金は,来日経験のある朴泳孝(ぼくえいこう)らとともに独立党を組織し,清国に依存しながら政権を保っていた国王の妃(閔妃・びんひ)一族の打倒を目指します。 1884(明治17)年,清国がフランスと戦争を始めるとこれを好機とみた独立党は,日本公使館の援助を得てクーデターを起こしました。 これは甲申事変(こうしんじへん)と呼ばれています。 しかし,このクーデターは失敗に終わり,日本に亡命した金はおよそ10年間を日本で過ごしますが,その生活は悲惨なものだったといいます。 その後,金は清国政府に朝鮮の改革を訴えるため上海に渡りましたが,閔妃の一族が送り込んだ刺客によって暗殺されてしまいました。 墓碑は,のちに首相となる犬養毅や国家主義者として知られる頭山満(とおやまみつる)らの支援で建てられました。撰文は同志の朴泳孝によるものです。
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