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アジサイで知られる白山神社の境内の一角に孫文のレリーフがはめ込まれた石碑があり,上部には「孫文先生座石」と記されています。 中国で「革命の父」とされる孫文は,日本を「第二の故郷」と言っていました。 とくに東京は,1905(明治38)年に清朝打倒を目指す中国同盟会が孫文の提唱によって結成された重要な場所です。 革命運動を進めるため世界中を巡っていた孫文は,辛亥革命の前年にあたる1910(明治43)年には,白山神社の近く,当時の小石川原町(現,白山4丁目・5丁目と千石1丁目の一部)にあった革命運動の支援者・宮崎滔天(とうてん)宅に身を寄せていました。 その5月,二人が白山神社の境内の石に腰掛けて中国の将来と革命について語り合っていたところ夜空に流星が現れ,それを見た孫文は祖国の革命を心に誓ったといいます。 その後孫文は,辛亥革命を指導して清朝を倒し,翌年に成立した中華民国の臨時大総統に就任しました。 石碑は,新中国建設を誓った場所を後世に残そうと,1983(昭和58)年に白山神社の宮司を中心に町会有志が建立したものです。 孫文が座ったのは,石碑の下にある横長の石だとされています。

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