金春通り煉瓦遺構の碑
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歴史散歩マイスター
2021/12/14
銀座から築地一帯を焼き尽くした1872(明治5)年の銀座大火を契機に,政府は,銀座一丁目から八丁目に至るすべての家屋を煉瓦建築とする不燃化都市計画を策定しました。その設計・監督を任されたのが,アイルランド出身の建築家・土木技師トーマス・ジェームス・ウォートルスです。 ウォートルスの詳細な経歴はわかりませんが,1864(元治元)年頃に香港から鹿児島に渡り,薩摩の紡績所などの建設に関わったといいます。その後,大蔵省貨幣司に雇用され,1871 (明治4)年に落成する大阪造幣寮とその応接所(現,泉布観)の設計・建設にあたりました。その土木建築全般にわたる技術力を認められたウォートルスは,政府から「銀座煉瓦街」の設計を任されることになります。 彼は,家屋の設計にとどまらず道路をはじめ街区全体の設計・建設に当たりました。また,使用する煉瓦を製造するため東京の小菅に最新式のホフマン窯(輪窯)も建設しています。 銀座煉瓦街は関東大震災で壊滅してしまいましたが,銀座八丁目の旧金春屋敷地内で発掘された当時の煉瓦が,「煉瓦遺構の碑」に使われています。
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