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フェノロサ記念碑 - トップ画像

フェノロサ記念碑

東京都台東区上野公園12-8 東京芸術大学美術館脇
フェノロサ記念碑 - マップ画像
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フェノロサ記念碑

東京都台東区上野公園12-8 東京芸術大学美術館脇
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アーネスト・フェノロサは「日本美術界の恩人」とされています。フェノロサは,1878(明治11)年に25歳で来日し,東京帝国大学教授として哲学や経済学などを講義しました。 当時の日本には,政府の進める欧化政策のもと西洋文化が重んじられる一方,日本古来の文化が軽視される風潮がありました。東洋美術にも造詣が深かったフェノロサは,日本美術が軽く扱われていることに衝撃を受け,文部省の美術取調委員として京都・奈良の古美術の調査・研究を進めます。その際,常に通訳として同行したのが当時学生だった岡倉覚三(天心)でした。法隆寺夢殿の厨子を開扉し,絶対秘仏とされていた救世観音像を包んでいた布を解いた逸話は有名です。 日本美術の復興を唱えたフェノロサは,岡倉天心の東京美術学校(現,東京芸術大学美術学部)の設立に協力し,1889(明治22)年に開校されると翌年,副校長に就任しました。フェノロサは同年に帰国しますが,それからも生涯を通じて海外への日本美術の紹介に努めています。 記念碑は,1920(大正9)年,フェノロサの13回忌にその門人たちが建てたもので,芸大美術館の新築に伴い美術学部前の庭から現在地に移されました。

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