歴史散歩マイスター
2021/12/14
日本の電信事業は,1869(明治2)年に横浜裁判所と東京築地の運上所(現在の税関)に設けられた傳信機役所(東京伝信局)との間で始まりました。 契機となったのは,前年,外国官(現在の外務省)に提出された寺島宗則(のちの外務卿)の建議書です。彼は日本の電信政策を推進したことから「電信の父」と呼ばれています。 電信の架設工事は,イギリス人電信技師G・M・ギルバートの指導の下に進められました。海外貿易の一大拠点だった横浜と東京の運上所が最初に電信で結ばれたのは,輸出入品の関税に関わるトラブルに迅速に対処するためだったと考えられます。当時使われた電信機は,幕府がすでに購入していた通信内容をカナ文字を使ってやり取りするフランス製のブレゲ指字電信機でした。これは,1872(明治5)年にはモールス方式電信機に変更されています。 なお傳信機役所は,碑が建てられている所から少し離れた料亭「治作」のある場所にありました。またブレゲ指字電信機の実物は,郵政博物館(墨田区押上1-1-2東京スカイツリータウン・ソラマチ9F)で展示されています。
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