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運上所跡 - トップ画像

運上所跡

店舗情報

東京都中央区明石町14-19行き方を調べる
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老舗料亭「つきじ治作」のあるところにかつて東京運上所がありました。運上所は現在の税関の前身にあたります。 築地に運上所が開設されたのは,元号が明治に変わる直前の1867(慶応3)年10月。江戸幕府は,1858(安政5)年に結ばれた安政の五カ国条約に基づき,開港場とされた神奈川(横浜),長崎などに貿易のため来日する外国人の居住地区として外国人居留地を設けました。条約には江戸の開市も定められていたので,幕府は築地鉄砲洲明石町の一帯を外国人居留地とすることとし,その一角に運上所が設けられたのです。 明治維新により江戸は東京と改称され,1869年1月1日(明治元年11月19日)に開市・開港されましたが,築地での貿易は港近くの水深が浅く整備が進まなかったため振いませんでした。ただ,横浜の外国人居留地と船で往来できる便の良い場所でしたので外国公使館や領事館が置かれ,教会や学校が数多く作られました。 条約改正によって1899(明治32)年に領事裁判権が撤廃されると築地の外国人居留地は廃止され,1872(明治5)年から横浜税関の東京税関支署となっていたかつての東京運上所も移転することになりました。

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