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アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡 - トップ画像

アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡

店舗情報

東京都千代田区富士見2-17-1 法政大学行き方を調べる
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アーネスト・サトウは,幕末・維新期の激動する政情を自らの体験を踏まえて記録した『一外交官の見た明治維新』の著者として知られています。 ロンドンで生まれたサトウは,1862(文久2)年に英国駐日公使館の通訳(当初は見習い)として19歳で来日し,英国公使オールコック,ついでパークスを補佐しました。サトウは,来日直後に起きた薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件(生麦事件)の交渉のため通訳として鹿児島に行き,交渉決裂後に起きた薩英戦争を目撃しています。翌年の列強4国と長州藩との戦争(下関戦争)のときにも英国艦隊に同行していました。 サトウは正式ではありませんが武田兼(かね)という日本人女性を妻とし二男一女をもうけています。1884(明治17)年にいったん日本を離れ、シャム(現在のタイ)やウルグアイなどに外交官として駐在しますが,離日に際して当時の麹町区富士見町にあった旧旗本屋敷を購入し,家族と日本滞在時の居宅としました。 碑は1981(昭和56)年に法政大学が建てたもので,そこがサトウの屋敷跡であることが記されています。サトウは,1895(明治28)年に英国公使として帰任し,1900(明治33)年まで滞在しました。

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