マップ表示やお気に入り機能など
アプリでもっと便利に
ヒュースケン殺害事件現場 - トップ画像

ヒュースケン殺害事件現場

店舗情報

東京都港区東麻布1-30 中之橋行き方を調べる
ヒュースケン殺害事件現場 - マップ画像
ヒュースケン殺害事件現場 - トップ画像

ヒュースケン殺害事件現場

店舗情報

東京都港区東麻布1-30 中之橋行き方を調べる
ヒュースケン殺害事件現場 - マップ画像

日本が開国して以降,明治維新直後までの間に外国人が攘夷派の武士たちによって襲撃される事件,殺傷される事件が度々起こっています。 オランダ生まれのアメリカ人ヘンリー・ヒュースケンが殺害されたのは1860(万延元)年の12月,場所は古川に架かる一之橋と赤羽橋の間にあった中之橋のあたりでした。ヒュースケンは,アメリカの初代総領事ハリスの通訳兼書記官として,1856(安政3)年に,領事館が開かれた伊豆下田に着任し,日米修好通商条約の締結に尽力しました。1859(安政6)年,麻布の善福寺に公使館が設けられたことで江戸に入ります。 事件が起きた当日,ヒュースケンは幕府とプロイセン(現在のドイツ北部からボーランド西部一帯を領土としていた王国)との修好通商条約締結の斡旋にあたっていましたが,プロイセン使節の宿舎だった芝の赤羽接遇所から公使館に騎馬で帰る途中,中之橋にさしかかったあたりで浪士の一団に襲われ,治療の甲斐無く翌日死亡しました。享年28歳。 これが幕末に外国人が殺害された初めての事件となりました。

0
0
1