ジョン万次郎の墓
歴史散歩マイスター
2021/11/24
ジョン万次郎(本名は仲濱萬次郎)は,土佐の中浜(現,高知県土佐清水市)で漁師の次男として生まれました。1841(天保12)年14歳の頃,漁の最中に遭難して無人島に漂着,アメリカの捕鯨船に助けられ,ハワイを経てアメリカに渡りました。8年間をアメリカ本土で過ごし,英語や測量,航海技術などを身に着けて万次郎が帰国したのは1851(嘉永4)年のことでした。 1860(安政7)年,日米修好通商条約批准のため幕府の遣米使節団がアメリカ船に乗船して渡米しますが,このとき護衛を名目として共に渡米する勝海舟を艦長とする咸臨丸に,万次郎は通訳として乗り込むことになりました。この縁で,勝海舟と親しくなった万次郎は,帰国後も海舟と連れ立って浅草にある鰻屋「やっ古」に好物のウナギを食べに行っていたと伝えられています。 万次郎が亡くなったのは1898(明治31)年,71歳のときでした。彼はキリスト教徒でしたが,墓は生前に谷中の仏心寺に用意していたもので,1920(大正9)年に雑司ヶ谷霊園に移されたとされています。
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