蘭学事始の地
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歴史散歩マイスター
2021/11/24
若狭(現,福井県)小浜藩の藩医・杉田玄白が著した『蘭学事始』には,オランダ語の解剖学書『ターヘル・アナトミア』を4年がかりで翻訳し,1774(安永3)年に『解体新書』を刊行するまでの苦心の様子が描かれています。 その翻訳作業は碑が建てられているこの地にあった豊前(現,大分県)中津藩中屋敷の一室で行われました。 翻訳作業の中心となった前野良沢は中津藩の藩医で,小浜藩の藩医中川淳庵(じゅんあん)や幕府奥医師の桂川甫周(ほしゅう)らもこの作業に加わっていました。公刊された『解体新書』は日本の医学の発展に大いに寄与し,また蘭学勃興の発端となりました。 碑の右側,赤い石には『解体新書』にある人体の図が,左側の黒っぽい石には標題として「蘭学の泉はここに」という文字が刻まれています。また撰文は,蘭学者緒方洪庵(こうあん)の曾孫にあたる元東京大学教授・緒方富雄によるものです。
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