浅草東本願寺
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歴史散歩マイスター
2021/11/24
江戸時代,幕府は朝鮮(李王朝)との間に唯一対等な外交関係を築いていました。 朝鮮からの外交使節団が,1607(慶長12)年から1811(文化8)年まで,12回にわたって日本を訪れています。この使節団は,1636(寛永13)年の4回目からは,信(よしみ)を通じ修好を目的とする「通信使」と呼ばれるようになります。来日の名目は,おもに将軍の代替わりを祝うということでした。 総勢500人を超えることもあったという通信使一行は,朝鮮半島から対馬・壱岐などを経由して下関に入り,陸路・海路で京都,さらに江戸に向かいました。一行は行列して江戸市中を巡り宿所に入りましたが,多くの庶民が見物に集まり,「江戸市中の道路は見物客で埋まり,塀を築いたようだ」と通信使の正使がその様子を伝えています。 浅草本願寺(現在の東本願寺)は,1657(明暦3)年の明暦の大火以降,通信使一行の江戸での宿所とされたところです。一行には,儒学者や医者,画家などが加わっていたため,宿所では彼らと日本人の学者,医者,画家との交流がみられました。 通信使の来日は,江戸の人々にとって外国文化に接する貴重な機会となっていたのです。
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