三浦按針屋敷跡
歴史散歩マイスター
2021/11/24
「三浦按針(あんじん)」は,イギリス人ウィリアム・アダムズの日本名です。1600(慶長5)年に豊後国(現在の大分県)に漂着したオランダ商船リーフデ号に,水先案内人として乗船していました。「按針」という名は,ウィリアム・アダムズの仕事に由来しています。 リーフデ号の航海士だったヤン・ヨーステンとともに徳川家康に召し抱えられたウィリアム・アダムズは,その造船技術や航海術が高く評価され,また天文学や数学等を指導した功績で旗本に取り立てられて相模国(現在の神奈川県)三浦郡に領地を与えられました。「三浦」の苗字はそこから来ています。 按針は,日本橋大伝馬町(おおでんまちょう)の名主の娘と結婚したとされていますが,彼が与えられた江戸の屋敷地は屋敷跡の碑がある現在の日本橋室町1 丁目辺りで,昭和初期まで「按針町」と呼ばれていました。 そこには,今でも「按針通り」 の名が残っています。
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2021/2/6
三浦按針とは、イギリス航海士であるウィリアム・アダムスのことであり、家康公より三浦の土地とともに与えられてこの名前を名乗ることとなった。ちなみに按針は水先案内人という意味。 三浦按針の墓地は定かではないそうですが、病死した長崎県平戸に墓が建立されています。 syougai.metro.tokyo.lg.jp/bunk... city.hirado.nagasaki.jp/kanko/...
(編集済み)
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