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儒教の経典として知られる『論語』,子どもに漢字を教えたり,書の手本とするために1000の異なる文字を使ってつくられた漢詩『千字文(せんじもん)』。『古事記』・『日本書紀』には,これらを初めて日本に伝えたのは王仁博士だと記されています。 王仁は,5世紀の初め,応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から渡来した学者で,朝廷の文書作成などを担当した書(文)首(ふみのおびと)らの祖となった人物と伝えられています。「博士王仁碑」は,1940(昭和15)年に建てられたもので,王仁の業績を顕彰する文が刻まれています。 この場所に石碑が建てられたのは,江戸時代に徳川家康をはじめ4代の将軍に仕えた儒学者林羅山が,現在の上野公園一帯にあたる上野忍岡に私塾と孔子廟を設けたということを踏まえてのことと推測されます。建立の発起人は朝鮮人趙洛奎(ジョナクギュ)ですが,主唱者・協賛者には哲学者井上哲次郎,元首相近衛文麿らそうそうたる人物が名を連ねています。 碑の傍らにある王仁の肖像碑(「王仁博士青銅刻画碑」)は,社団法人韓日文化親善協会が創立40周年記念事業の一環として2016(平成28)年に建てたものです。

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