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寛政の津波供養塔(島原大変肥後迷惑) - トップ画像

寛政の津波供養塔(島原大変肥後迷惑)

石碑・記念碑
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寛政の津波供養塔(島原大変肥後迷惑) - マップ画像
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寛政の津波供養塔(島原大変肥後迷惑)

石碑・記念碑
石碑・記念碑

島原半島の眉山の崩落による津波で熊本藩側の死者は約5000人に。石碑の表面には「南無阿弥陀仏」とかすかに確認できます。

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江戸時代後期寛政4年(1792)、島原半島の雲仙普賢岳が噴火した。火山活動が収まりかけた同年4月1日(旧暦)、地震により眉山(まゆやま)の山体が崩落し、有明海になだれ込んだ大量の土砂によって津波が発生した。この津波による犠牲者は、約15,000人と推定される。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)

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