津波の碑(チリ津波)
店舗情報
森隆(石碑は語る著者)
2021/11/11
碑文は、「昭和三十五年のチリ津波は幸い死者は無かったが堀川が高潮で家屋四千余が浸水し損害は八億円に達した。度重なる津波による惨害にかんがみ須崎市はこのたび港湾に堅固な防波堤をめぐらし、さらに常に災害の誘引となった堀川を埋め立てて自今の備えと万一に際し市民の城山避難の安全を期した」と記されています。
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防災のセレクトショップSEISHOP(セイショップ)
2021/9/27
宝永地震(1707)の津波は、西は新荘川を下郷までさかのぼり、東は土崎と神田などを襲い400人余りの死者を出した。昭和南海地震(1946)では、多ノ郷と吾桑の平野部の大部分が浸水し、引き潮が原町から新町や浜町を飲み込み、死者61名、家屋倒壊198戸等の被害を出した。チリ地震(1960)では死者こそなかったが、家屋4000戸余りが浸水した。 (国土地理院自然災害伝承碑データ gsi.go.jp/bousaichiri/denshouh... より)
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