銚子千人塚(慶長の大津波)
店舗情報
森隆(石碑は語る著者)
2021/6/7
「阿波の鳴戸か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」と、昔から海の難所と言われてきた銚子。河口付近では荒れた波が立ちやすく、熟練の漁師たちを悩ませてきました。慶長19年(1614年)、対岸の鹿島灘へ漁に出た彼らを大津波が襲ったのです。一説には、相模や紀伊にかけての地震による津波ともいわれ、1000人に及ぶ被害が出たと伝えられています。小高い丘の頂には「海難漁民慰霊塔」が建っています。(「石碑は語る」より)
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店舗情報
森隆(石碑は語る著者)
2021/6/7
「阿波の鳴戸か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」と、昔から海の難所と言われてきた銚子。河口付近では荒れた波が立ちやすく、熟練の漁師たちを悩ませてきました。慶長19年(1614年)、対岸の鹿島灘へ漁に出た彼らを大津波が襲ったのです。一説には、相模や紀伊にかけての地震による津波ともいわれ、1000人に及ぶ被害が出たと伝えられています。小高い丘の頂には「海難漁民慰霊塔」が建っています。(「石碑は語る」より)