明治三陸大津波伝承碑(明治三陸地震)
店舗情報
森隆(石碑は語る著者)
2021/6/7
その昔、綾織りの上手な娘がいたことから名付けられたという「綾里」。東日本大震災の前までは、本州で最も高い津波遡上高の38.2㍍の記録がありました。碑文は「その屍(しかばね)たるや道路に満ち沙湾に横たわり酸鼻言うべからず…親の屍にすがりて悲しむものあり、子の骸(むくろ)を抱き慟哭するものあり…頭足、所を異にするに至りては惨のもっとも惨たるものなり」と生々しい状況を伝えています。(「石碑は語る」より)
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店舗情報
森隆(石碑は語る著者)
2021/6/7
その昔、綾織りの上手な娘がいたことから名付けられたという「綾里」。東日本大震災の前までは、本州で最も高い津波遡上高の38.2㍍の記録がありました。碑文は「その屍(しかばね)たるや道路に満ち沙湾に横たわり酸鼻言うべからず…親の屍にすがりて悲しむものあり、子の骸(むくろ)を抱き慟哭するものあり…頭足、所を異にするに至りては惨のもっとも惨たるものなり」と生々しい状況を伝えています。(「石碑は語る」より)