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利府のんびりまち歩き ーJR東北本線旧線跡 - メイン画像

利府のんびりまち歩き ーJR東北本線旧線跡

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2024/3 作成2024/3/5 最終更新

利府のんびりまち歩き ーJR東北本線旧線跡

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2024/3 作成2024/3/5 最終更新

JR東北本線旧線(山線)は、廃線となって線路こそありませんが、その痕跡をだどることができます。利府の鉄道物語に触れるニッチなコース。 ◆このブックは利府町の「まち自慢コンテスト2024」の見本ガイドブックです。 グランプリには豪華賞品もご用意しています✨ コンテストにエントリーして『利府町のいいとこ』をぜひ教えてください🔥 コンテストの詳細はこちら👀 rifu-tsumiki.jp/topics/archive...

紹介スポット

JR利府駅 - おすすめ画像
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JR利府駅

JR東北本線利府線終着駅 東北本線旧線(山線)は、廃線となって線路こそありませんが、今でも痕跡を見ることができます。利府駅からその線路跡をたどってみましょう。

1894年(明治27年)に利府駅が開業。加瀬村の佐々木佐太郎氏が敷地を寄贈するなど、地元の力で実現した駅です。1949年(昭和24年)頃、線路の廃止にともない利府駅存続の危機がありましたが、請願活動を行うなど住民の強い想いと行動が現在の利府を残したのでした。

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JR利府駅宮城県宮城郡森郷字柱田26-8
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JR東北本線利府線終着駅 東北本線旧線(山線)は、廃線となって線路こそありませんが、今でも痕跡を見ることができます。利府駅からその線路跡をたどってみましょう。

1894年(明治27年)に利府駅が開業。加瀬村の佐々木佐太郎氏が敷地を寄贈するなど、地元の力で実現した駅です。1949年(昭和24年)頃、線路の廃止にともない利府駅存続の危機がありましたが、請願活動を行うなど住民の強い想いと行動が現在の利府を残したのでした。

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JR利府駅宮城県宮城郡森郷字柱田26-8
森郷児童遊園 - おすすめ画像
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森郷児童遊園

C58形蒸気機関車、ED91形交流式電気機関車があって、SL公園として親しまれていました。2022年に老朽化のため撤去され、現在は記念銘板が設置されています。

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C58形蒸気機関車、ED91形交流式電気機関車があって、SL公園として親しまれていました。2022年に老朽化のため撤去され、現在は記念銘板が設置されています。

橋脚 - おすすめ画像
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橋脚

橋を支える橋脚 橋自体は廃線後に架けられたものですが、旧線時代の橋脚が今でも橋を支えています。

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橋を支える橋脚 橋自体は廃線後に架けられたものですが、旧線時代の橋脚が今でも橋を支えています。

旧線路跡 - おすすめ画像
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旧線路跡

旧線路跡~森郷字藤田付近~ 三陸自動車道の開通により、利府中インターン付近で線路跡は一部消失していますが、その奥から再び続いています。

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旧線路跡~森郷字藤田付近~ 三陸自動車道の開通により、利府中インターン付近で線路跡は一部消失していますが、その奥から再び続いています。

築堤 - おすすめ画像
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築堤

現在も残る築堤~春日字金生付近~ 廃線となった後でも旧線路敷設にともなって築かれた築堤が残り、趣ある風景が続きます。

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現在も残る築堤~春日字金生付近~ 廃線となった後でも旧線路敷設にともなって築かれた築堤が残り、趣ある風景が続きます。

隧道 - おすすめ画像
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隧道

築堤の下に作られた隧道~春日字黄金井付近~ 明治時代に造られたレンガ造りのアーチ橋。山線が走っていた頃の様子を伝えてくれます。

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築堤の下に作られた隧道~春日字黄金井付近~ 明治時代に造られたレンガ造りのアーチ橋。山線が走っていた頃の様子を伝えてくれます。

旧線路跡 - おすすめ画像
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旧線路跡

旧線路跡~春日字大沢付近~ 森林の中に残る廃線跡。現在はアスファルト舗装され、生活道路として利用されています。

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旧線路跡~春日字大沢付近~ 森林の中に残る廃線跡。現在はアスファルト舗装され、生活道路として利用されています。

旧赤沼信号場跡 - おすすめ画像
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旧赤沼信号場跡

旧赤沼信号場跡~赤沼字横街道付近~ 左側が県道8号線、右側が三陸自動車道路。信号場があった場所には当時停車場もあり他の線路跡と比べて広くなっています。

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旧赤沼信号場跡~赤沼字横街道付近~ 左側が県道8号線、右側が三陸自動車道路。信号場があった場所には当時停車場もあり他の線路跡と比べて広くなっています。

熊野神社

熊野神社 もとは本山派修験の白性坊が管理していたといわれ、大正5年利府村、伊豆佐比賣神社に合祀した。昭和23年現在の地に鎮座しました。

熊野神社 もとは本山派修験の白性坊が管理していたといわれ、大正5年利府村、伊豆佐比賣神社に合祀した。昭和23年現在の地に鎮座しました。

染殿神社

染殿神社と染殿姫命 染殿神社に祀られている神様は、飲料水を司る「垂水之姫命」、建築を司る「大戸辺命」「大苫辺命」。そして「染殿姫命」です。

染殿神社は江戸時代の古文書には「蓋草(かりやす)神社」として記録が残されています。 「蓋草」とは、イネ科の多年草で染料として昔から使われていました。現在は「刈安」とも書きます。 特に赤沼周辺からとれる蓋草は品質が良かったそうで鎌倉時代の短歌などにも登場します。 染殿神社に祀られている神様で「染殿姫命」について伝承があります。 仁寿2年(西暦852年)、身分を隠して東北地方を視察に来ていた「藤原明子(ふじわらのあきらこ):当時の文徳天皇の后」が赤沼付近に来た際にその日の宿を貸してほしいと村人に頼んだそうです。 しかし、普段目にしない立派な着物を身につけて頭には宝冠を付け、妊娠中の旅の娘を村人たちは不信に思い誰も宿を貸してくれませんでした。 そのことを不憫に思った老夫婦が近くの経塚のお堂に泊まるよう教えてくれました。 明子は旅の疲れを癒す間もなく、その日の晩に出産。 その時の産着などを沼の水で洗ったところ沼が赤く染まったことから赤沼と呼ばれるようになったとの説もあります。 無事に出産を終えた明子は村人に助けられながら子育てを行いました。 2年後に都へ帰るまで村人に針仕事や染め物の技術、書道などを教えていたといいます。このことから赤沼周辺の教養がぐんと上がり、明子は里の人々から生神として讃えられることとなりました。 明子が住んでいた跡地にお堂と記念の碑を建てて、神様として祀ったことが染殿神社の始まりという説もあります。 ※利府町誌 「染殿神社に因む伝説」より

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染殿神社宮城県宮城郡利府町赤沼宮下21

染殿神社と染殿姫命 染殿神社に祀られている神様は、飲料水を司る「垂水之姫命」、建築を司る「大戸辺命」「大苫辺命」。そして「染殿姫命」です。

染殿神社は江戸時代の古文書には「蓋草(かりやす)神社」として記録が残されています。 「蓋草」とは、イネ科の多年草で染料として昔から使われていました。現在は「刈安」とも書きます。 特に赤沼周辺からとれる蓋草は品質が良かったそうで鎌倉時代の短歌などにも登場します。 染殿神社に祀られている神様で「染殿姫命」について伝承があります。 仁寿2年(西暦852年)、身分を隠して東北地方を視察に来ていた「藤原明子(ふじわらのあきらこ):当時の文徳天皇の后」が赤沼付近に来た際にその日の宿を貸してほしいと村人に頼んだそうです。 しかし、普段目にしない立派な着物を身につけて頭には宝冠を付け、妊娠中の旅の娘を村人たちは不信に思い誰も宿を貸してくれませんでした。 そのことを不憫に思った老夫婦が近くの経塚のお堂に泊まるよう教えてくれました。 明子は旅の疲れを癒す間もなく、その日の晩に出産。 その時の産着などを沼の水で洗ったところ沼が赤く染まったことから赤沼と呼ばれるようになったとの説もあります。 無事に出産を終えた明子は村人に助けられながら子育てを行いました。 2年後に都へ帰るまで村人に針仕事や染め物の技術、書道などを教えていたといいます。このことから赤沼周辺の教養がぐんと上がり、明子は里の人々から生神として讃えられることとなりました。 明子が住んでいた跡地にお堂と記念の碑を建てて、神様として祀ったことが染殿神社の始まりという説もあります。 ※利府町誌 「染殿神社に因む伝説」より

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染殿神社宮城県宮城郡利府町赤沼宮下21