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守命供時の碑 - トップ画像

守命供時の碑

店舗情報

東京都墨田区堤通2-16-1 木母寺(もくぼじ)行き方を調べる
守命供時の碑 - マップ画像
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東京都墨田区堤通2-16-1 木母寺(もくぼじ)行き方を調べる
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木母寺の裏門を出ると,塀沿いに「守命供時(天命を守り保つためには時勢と共にしなければならない)」の碑があります。 この碑は,1882(明治15)年に朝鮮の漢城(現在のソウル)で起きた壬午(じんご)軍乱で殺害された日本人14名を追悼して1897(明治30)年に建てられました。 壬午軍乱が起きた当時,朝鮮の政治の実権を握っていたのは国王高宗の妃(閔妃・びんひ)の一族で,朝鮮への影響力を強める日本の指導下で内政や軍隊などの改革を進めていました。 一方,国王の父・大院君を中心とした守旧派と呼ばれる一派は,この動きに強く反発していました。 1881(明治14)年に日本の指導による新式軍隊ができると,待遇の差に不満を募らせていた旧軍兵士は俸給米の遅配問題を機に反乱を起こしました。 これが壬午軍乱です。 背後には政権掌握を目指す大院君一派がありました。 この軍乱で軍事顧問・堀本禮造(れいぞう)中尉をはじめ陸軍省語学生ら7名が殺害され,日本公使館も放火されました。 弁理公使花房義質(よしもと)らは仁川に逃れましたが,そこも襲撃され公使館員や巡査ら7名が殺害されました。 碑は花房らが建てたものです。

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